冨田博之
日本の児童演劇作家、評論家 (1922-1994)
冨田 博之(とみた ひろゆき、1922年6月20日 - 1994年12月21日)は、児童演劇作家、評論家[1]。白百合女子大学教授、日本児童文学学会会長を務めた[2]。妻は児童劇作家の小池タミ子[3]。
経歴
編集福島県生まれ。学生の頃より日本学校劇連盟、日本少年文化研究会の活動に参加する[3]。1941年(昭和16年)に青山師範学校(現:東京学芸大学)専攻科を卒業後、徳島県で小学校教師を務める[2]。第二次世界大戦では応召され、復員後、日本学校劇連盟(現:日本演劇教育連盟)および機関誌『学校劇』(現:『演劇と教育』)の再建に携わる。1951年(昭和26年)には民芸少年劇『山びこ学校』の脚色を担当する[3]。1976年(昭和51年)に刊行した『日本児童演劇史』で第30回毎日出版文化賞(1976年)、第17回日本児童文学者協会賞(1977年)、芸術選奨文部大臣賞(1977年)を受賞[2]。1981年(昭和56年)より日本演劇教育連盟委員長。1983年(昭和58年)、子ども演劇資料館を開設する[2]。1990年(平成2年)に紫綬褒章受章。1993年(平成5年)より日本児童文学学会会長となるも、翌年急逝。72歳没。
著書
編集- 『学校劇の建設 学校劇のコース・オブ・スタディ』日本教育出版社 1949
- 『小さな学芸会』いわさきちひろ絵 国土社 1951
- 『学校劇脚本の書きかた』アルス 1954
- 『私たちのクラブ活動 7 演劇』三十書房 1954
- 『演劇教育』国土社 1958 芸術教育双書
- 『ぼくはテレビのけらいじゃない 児童劇集』国土社 1962
- 『ぼくらの学級学芸会』市川禎男絵 国土社 1964
- 『現代演劇教育論』日本演劇教育連盟 1974
- 『日本のわらい話』前川かずお絵 学習研究社 1974
- 『世界のわらい話』前川かずお絵 学習研究社 1975
- 『日本児童演劇史』東京書籍 1976
- 『日本のおとぎ話』学習研究社 1977 学研・絵ものがたり
- 『日本のとんち話』学習研究社 1977 学研・絵ものがたり
- 『日本のちえくらべ話』学習研究社 1980 学研・絵ものがたり
- 『学校文化活動論 学校の甦りのために』明治図書出版 1984 教育科学全書
- 『賢治と南吉の演劇世界』国土社の教育選書 1991
- 『児童文化時評 1972~1994年』久山社 1996 日本児童文化史叢書
- 『日本演劇教育史』国土社 1998
-その他民話の再話もの多数。
共編
編集- 『どこかで春が 演劇教育の実践記録』佐藤一男共編 三一書房 1957
- 『集会・行事の構成と演出 小学校/中学校』編 明治図書出版 1976-77 特別活動研究双書
- 『赤い鳥 童話劇集』編 東京書籍 1979
- 『児童文学研究の軌跡』上笙一郎共編 久山社 1987
参考文献
編集- 『日本近代文学大事典』講談社、1984
脚注
編集- ^ 冨田博之とは - コトバンク - 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社(2021年2月17日閲覧)
- ^ a b c d 冨田 博之とは - コトバンク - 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年刊(2021年2月17日閲覧)
- ^ a b c 田島義雄「冨田博之」『児童文学事典』電子版 p.523 - 日本児童文学学会、千葉大学アカデミック・リンク・センター(2021年2月17日閲覧)