ピエール・コロンボ(Pièrre Colombo, 1914年5月22日 - 2000年6月30日[1]は、スイス出身の指揮者

ジュネーブの王の墓地にあるピエールコロンボの墓

ヴォー州ラ・トゥール=ド=ペの生まれ。ローザンヌのリボピエール音楽院でフルートを学んだあと、バーゼル音楽院でハンス・ミュンヒとヘルマン・シェルヘンの各氏に指揮法を学んだ。1947年にローザンヌ・バッハ合唱団の指揮者になるとともに、スイス・ロマンド管弦楽団エルネスト・アンセルメの助手を1967年まで務めた。1950年にはジュネーヴ室内管弦楽団を創設し、また南アフリカのヨハネスブルク市立管弦楽団やケープタウン市立管弦楽団などに客演した。1958年から1979年まで国際作曲家会議の議長を務め、1967年から1974年まで国際音楽評議会の執行委員も務めた。1979年から1988年までジュネーヴ国際音楽コンクールの審査員長も務めた[2]。指揮活動は1987年に引退した。

ジュネーヴにて没。

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  1. ^ bach-cantatas.com
  2. ^ [1]