花井又太郎
日本の都市計画家、土木技術者 (1886-1974)
花井 又太郎(はない またたろう、1886年7月6日 - 1974年12月7日)は、日本の都市計画家。土木技術者。愛知県宝飯郡赤坂村生まれ[1]。
はない またたろう 花井 又太郎 | |
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生誕 |
1886年7月6日 日本愛知県宝飯郡赤坂村(豊川市) |
死没 | 1974年12月7日(88歳没) |
国籍 | 日本 |
1913年(大正2年)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。 朝鮮総督府勤務の後、1920年から大阪市に転じ、都市計画部技術課長や大阪市地下鉄の初代建設事務所長を務める。
1931年(昭和6年)から懇願されて名古屋市土木部長に迎えられる。1939年には土木局長。1942年から終戦までは市助役を務めている(後任は田淵寿郎)。その間に名古屋駅前土地区画整理事業や東山公園開設、中川運河開削事業といった都市計画事業を推進するかたわら、都市計画地方委員会愛知委員会各種委員をつとめる。
戦後は復興建設技術協会中部支部長を経て1953年、名古屋地下街会社の専務就任。日本での地下街第一号の名駅地下街サンロードを名古屋駅前に開設。
脚注
編集- ^ 愛知県姓氏家系大辞典編纂委員会 1991, p. 532.
参考文献
編集- 愛知県姓氏家系大辞典編纂委員会 編『愛知県姓氏歴史人物大辞典』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0。
- 『大阪のモダニズム』ゆまに書房、1930年。
- 大島滿一翁傳記編纂委員会 編『大島滿一翁傳』1965年。
- 坂上康博、高岡裕之『幻の東京オリンピックとその時代: 戦時期のスポーツ・都市・身体』青弓社、2009年。ISBN 978-4787220363。