湯河元臣
日本の逓信官僚
湯河 元臣(ゆかわ もとおみ、慶応元年11月24日(1866年1月10日) - 昭和7年(1932年)9月25日[1])は、日本の逓信官僚。
経歴
編集静岡県士族の後藤家に生まれ、湯河はまの養子となった。1884年(明治17年)に司法省法学校に入学し、1893年(明治26年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。逓信属となり、逓信事務官、高等海員審判所審判官、逓信書記官、逓信参事官、海事局長、高等海員審判所長、管船局長を歴任した。1914年(大正3年)、逓信次官に就任。
栄典
編集- 位階
- 勲章
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
公職 | ||
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先代 中谷弘吉 |
逓信次官 1914 -1917 |
次代 内田嘉吉 |