マーティン・ゴールドスタイン

マーティン・ゴールドスタイン(Martin Goldstein, 1905年 - 1941年6月12日)は、ユダヤ系ギャングで、マーダー・インクの殺し屋。エイブ・レルズと共にマーダー・インクの最も古いメンバー。本名メイヤー・ゴールドスタイン(Meyer Goldstein)。あだ名はバグジー(buggsy…ベンジャミン・シーゲルの同じあだ名より"g"が一つ多いのに注意)。あだ名の由来は、予見不可能で気が触れているような振る舞いによる[1]

ブルックリン生まれ。12歳の時学校を中退して配管工になった[2]。少年時代、仲間のレルズと商店強盗を繰り返し、何度も捕まった[1][2]。地元ギャングを統率したユダヤ系のシャピロ兄弟英語版の傘下にいたが、レルズらと密かにマイヤー・ランスキーから調達した違法スロットマシーンの販売営業を始め、更に高利貸し、サイコロ賭博、組合に手を広げた[2]。結果シャピロ兄弟のシマを荒らしたため、命を狙われた。1931年、レルズと共に銃撃され、負傷した[1]。隣町オーシャン・ヒルでギャングをしていたハリー・マイオーネフランク・アッバンダンドらを仲間に引き込み、シャピロ兄弟に宣戦布告した[2]。1931年から1934年にかけて兄弟3人アーヴィング、メイヤー、ウィリアムを次々に殺害し、縄張りを乗っ取った[1]

対シャピロ抗争で支援を得たユダヤ系ギャングボスのルイス・"レプキ"・バカルターの下で契約殺人を行うようになり、レルズと共に組織の中核を形成した[2]。1935年、かつての仲間ルイス・アンバーグ英語版殺害容疑でハリー・ストラウスと共に逮捕されたが、程なく証拠不十分で放免された[1]。1936年、側近シーモア・マグーン英語版と共に学校の塗装業強請で逮捕されたが、1939年罪状は却下された[1]

1940年、殺人罪で捕まったレルズが死刑宣告を免れるため密告者に転じ、同僚の殺害行為を次々に暴露した[2]。ゴールドスタインとストラウスは、1939年9月の仲間アーヴィング・フェインスタイン英語版殺害容疑で告発された[1][2]。公判では、レルズに加えてかつての側近シーモア・マグーンにも殺害行為を証言され、第1級殺人罪が宣告された[1]。判決が下った際、何か言いたいことがあればと促されたゴールドスタインは「裁判官、あんたの足に小便をかけたい」と告げた[2]。1941年6月12日、シンシン刑務所でハリー・ストラウスと共に電気椅子で処刑された[1][2]。死刑の数日前、「レルズを道連れにできないのが残念だ」と語っていたという[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Martin Goldstein La Cosa Nostra Database
  2. ^ a b c d e f g h i j Martin Goldstein J-Grit

外部リンク 編集