中山竜次
中山 龍次(なかやま りゅうじ、1874年(明治7年)1月1日[1] - 1962年(昭和32年)6月29日[2])は、日本の逓信官僚。新潟県十日町市長。
経歴
編集新潟県中魚沼郡十日町村(現在の十日町市)出身[1]。1892年(明治25年)、東京郵便電信学校を卒業[3]。逓信技手に任じられ、東京郵便電信学校教授、通信技師、逓信技師を歴任した[3]。イギリス・ドイツ留学後、1913年(大正2年)から在官のまま中華民国交通部顧問を務めた[3]。
1928年(昭和3年)に退官した後は日本放送協会関東支部常務理事となり、1934年(昭和9年)からは日本放送協会常務理事・業務局長となった[3]。1937年(昭和12年)に退任した後は、1938年(昭和13年)から電気通信協会初代会長を務めた[3]。
戦後の1947年(昭和22年)、十日町町長に当選して2期在任し、信濃川の堤防建設や中学校・伝染病院・町役場・電報電話局・郵便局の新築に尽力した[2]。1954年(昭和27年)、市制が施行されると初代市長に就任した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
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