ハリー・ジョン・グリフィス

ハリー・ジョン・グリフィス(Harry John Griffiths、1882年 - 1945年)は、イギリス日本学者である。

経歴・人物 編集

1920年大正9年)に来日し、神戸のトンプソン商会に勤務した。バジル・ホール・チェンバレンの“Things Japanese”『日本事物誌』第6版を出版した。これにより、裁判で有罪となって、罰金が科された。[1]

第二次世界大戦中に敵性外国人として収容所に入れられ、そのまま1945年昭和20年)4月1日に死去した。

脚注 編集

出典 編集