増田與一
増田 與一(ますだ よいち、旧姓・岡田、1880年(明治13年)4月29日[1] - 1935年(昭和10年)4月6日[2])は、日本の実業家。増田屋麦粉店代表社員[1][3][4]。族籍は神奈川県平民[5][6]。
人物
編集愛知県人・岡田種三郎の二男[4][7]。岡田儀一の弟[3]。増田タキの養子となり1923年、家督を相続する[3][4]。1896年、増田増蔵商店に入り、1925年、合資会社増田屋麦粉店を創立し、代表社員となる[1]。
また青島製粉代表[5]、増田貿易[5]、増田製粉所、青島製粉、常磐製粉各取締役などを務めた[3]。住所は東京渋谷町[1]、小石川水道町[3]、横浜老松町[5][7]、横浜南太田町[6]。神奈川県在籍[4]。
家族・親族
編集- 増田家
- 養母・タキ(1868年 - ?、増田嘉兵衛の長女[5]、増田増蔵の妹)
- 妻・春(1884年 - ?、神奈川、河野與重の二女)[3][6]
- 男・和一[3][8](1905年 - ?、1930年に慶應義塾大学経済学部卒業[8]、増田屋会社取締役[8])
- 娘[3][6]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b c d 『大衆人事録 第5版』マ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月31日閲覧。
- ^ 「増田与一氏」『朝日新聞』1935年4月7日、11面。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第10版 下』マ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月28日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』マ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』ま95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月28日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』ま109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月28日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』ま80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』ま389頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月1日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924 - 1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社ほか、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。