ヨハン・フリードリヒ・マテイ

ヨハン・フリードリヒ・マテイ(Johann Friedrich Matthäi、1777年3月3日 - 1845年10月23日)はドイツの肖像画家、歴史画家である。1810年から1814年の間、ドレスデンの美術学校(Kunstakademie Dresden)の校長を務めた。

ヨハン・フリードリヒ・マテイ
Johann Friedrich Matthäi
『アトリエのマテイ』
(画)G.F.ケルスティンク
生誕 1777年3月3日
ザクセン選帝侯領, マイセン
死没 1845年10月23日
オーストリア帝国, ウィーン
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略歴

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マイセンで生まれた。父親は芸術家で、マイセン磁器製作所で働いた人物である。ドレスデンの美術学校でジョヴァンニ・バティスタ・カサノヴァに学んだ後、ウィーンに移り、ウィーン美術アカデミーで5年間、ハインリヒ・フリードリヒ・フューガーに学んだ。

イタリアに旅し1802年から1804年の間はフィレンツェに滞在し、1805年から1807年まではローマで修行した。ドレスデンに戻って教え始め、1810年に美術学校の校長になったが、この時期はナポレオン戦争ザクセン王国は戦場になり荒廃した。ナポレオンが破れてウィーン会議が始まった1814年に校長を辞めるが、美術学校はしばらく校長を置かず学生の自治で運営された。

マテイの教えた学生にはナザレ派の画家になるカール・エガーズ(Carl Eggers)やフィリップ・ファイトがいる。1823年にドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の学芸員になり、1934年に館長になった。

イタリアを旅し、帰国中にウィーンで没した。

作品

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参考文献

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  • Hyacinth Holland: Matthaei, Friedrich. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 20, Duncker & Humblot, Leipzig 1884, S. 606 f.
  • Matthäi, Friedrich. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 24: Mandere–Möhl. E. A. Seemann, Leipzig 1930, S. 260.