ウィリアム・ストット
ウィリアム・ストット(William Stott、1857年11月20日 - 1900年2月25日)はイギリスの画家である。
ウィリアム・ストット William Stott | |
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ストット作「ヴィーナスの誕生」(1887) | |
生誕 |
1857年11月20日 オールダム |
死没 |
1900年2月25日 ベルファスト |
略歴
編集イングランド北西部、グレーター・マンチェスターのオールダムに紡績工場の所有者の息子に生まれた[1]。オールダムの美術学校、マンチェスターの美術学校で学んだ後[2]、1878年にパリに移り、エコール・デ・ボザールでジャン=レオン・ジェロームに学んだ[3]。芸術家、特に英語圏出身の芸術家も多く集まったセーヌ=エ=マルヌ県の芸術家村、グレ=シュル=ロワンに滞在し、影響力のあるメンバーになり、アイルランド出身のフランク・オメーラらと親しくなった。1881年にサロン・ド・パリに出展し注目された。
イギリスに戻った後、イギリス画壇の中心人物になっていたジェームズ・マクニール・ホイッスラーの信奉者となり、親しくなったがストットの象徴的なスタイルのヌードの作品「ヴィーナスの誕生」(1887年)をめぐる出来事から疎遠になった[4]。
1882年から同世代の画家のエドワード・ストットと区別するためもあって、「オーダムのストット(Stott of Oldham)」と作品の署名するようになった。1880年代に入って神話を題材にした作品も描くようになった。1889年にパリの画廊で最初の個展を開いた。
ロンドンからベルファストへの船旅の途中で急死した。42歳であった[1]。
作品
編集参考文献
編集- ^ a b “William Stott of Oldham | Tate”. tate.org.uk. 2016年8月16日閲覧。
- ^ “William Stott of Oldham RBA (1857-1900)”. myweb.tiscali.co.uk. 2016年8月16日閲覧。
- ^ William Stott of Oldham RBA (1857-1900), The website of Bob Speel.
- ^ https://www.amazon.com/William-Stott-Oldham-1857-1900-Rushing/dp/1903470218