矢野荘三郎
矢野 荘三郎(やの しょうざぶろう、1867年9月25日(慶応3年8月28日)[1] - 1925年(大正14年)9月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集愛媛県出身[3]。1896年大阪府立商業学校(現・大阪市立大学)卒。のちに慶應義塾に学ぶ[3]。鉱業に従事し[3]、伊予製鉱、宇和紡績、第二十九銀行、愛媛鉄道、龍野電気鉄道各(株)取締役、明治製煉(株)専務取締役を務めた[2]。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1925年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年〜第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。