瀬戸山清彦
瀬戸山 清彦(せとやま きよひこ、1867年12月30日(慶応3年12月5日)[2] - 1944年(昭和19年)6月30日[3])は、日本の医師、政治家、衆議院議員(1期)。
瀬戸山清彦 せとやま きよひこ | |
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生年月日 | 1867年12月30日 |
出生地 | 日本 宮崎県 |
没年月日 | 1944年6月30日(76歳没) |
出身校 |
第三高等中学校医学部卒業 (現・京都大学医学部) |
前職 | 医師 |
所属政党 | 立憲政友会 |
子女 | 長女:モリ(伊地知純正の妻)[1] |
選挙区 | 宮崎県全県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1912年 - 1914年12月25日 |
経歴
編集宮崎県出身[3]。1890年、第三高等中学校医学部(現:京都大学医学部)卒。陸軍一等軍医となり、日清、日露の両戦争に従軍する[3]。その後は医業に従事し、日向銀行頭取を務めた[3]。
1912年の第11回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補したが落選した[4]。8月に塚本常弥の死去により繰り上げ当選となった。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1944年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。