中村 謙蔵(なかむら けんぞう、1878年明治11年〉12月15日[1] - 1942年昭和17年〉6月26日[1])は日本政治家岩手県盛岡市長。

来歴

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盛岡市出身[1]。上京し苦学して裁判所書記となる[1][2]。山林事務官となり、青森、弘前の各営林署長となる[1]1921年、盛岡市長北田親氏に請われて盛岡市助役となる[1][2]1929年5月、盛岡市長に就任した[1][2]。在任中は耕地整理事業に着手し、市立病院の開院、上水道の整備などを行った[2]1934年6月に市長を退任[1][2]。退任後は盛岡無尽支配人、盛岡市農会長、加賀野町内会長などを務めた[1]。1942年死去。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『岩手人名辞典』182頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第1巻、229頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。