カール・ルートヴィヒ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公)
カール・ルートヴィヒ(Karl Ludwig von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Beck, 1690年9月18日 - 1774年9月22日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック家の第7代公爵(在位:1757年 - 1774年)。プロイセン王国の将軍。
カール・ルートヴィヒ Karl Ludwig | |
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シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公 | |
在位 | 1757年 - 1774年 |
出生 |
1690年9月18日 |
死去 |
1774年9月22日(84歳没) プロイセン王国、ケーニヒスベルク |
配偶者 | アンナ・カロリーナ・オジェルスカ |
子女 | カール・フリードリヒ |
家名 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック家 |
父親 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公フリードリヒ・ルートヴィヒ |
母親 | ルイーゼ・シャルロッテ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク |
宗教 | キリスト教ルター派 → カトリック |
生涯
編集シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公フリードリヒ・ルートヴィヒと、その妻でアウグステンブルク公エルンスト・ギュンターの娘であるルイーゼ・シャルロッテの間の三男。両親は従兄妹同士であった。
プロイセン軍に仕官し、陸軍中将にまで昇った。1723年カトリックに改宗。1730年8月13日ドレスデンでポーランドとザクセンの統治者アウグスト強王の庶出の娘アンナ・カロリーナ・オジェルスカ伯爵夫人と結婚するが、わずか3年で離別した。間に生まれた一人息子カール・フリードリヒ(1732年 - 1772年)は未婚のまま亡くなった。
1762年、同族のロシア皇帝ピョートル3世によって唐突にロシアの陸軍元帥に任命されたが、高齢を理由に辞退した。1774年ケーニヒスベルクで没。
外部リンク
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