岡本銺太郎
日本の建築家
岡本銺太郎(おかもと そうたろう、1867年 - 1918年)は、日本の建築家である。清水組(現:清水建設)の第4代技師長をつとめ[1]、澁澤倉庫や清水組本店などを設計した[2]。
岡本銺太郎 | |
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生誕 |
慶応3年(1867年) 日本 江戸 |
死没 | 大正7年(1918年) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学 |
職業 | 建築家 |
経歴
編集慶応3年(1867年)、江戸で誕生[1]。明治23年(1890年)に東京帝国大学工科大学造家学科を卒業し、翌年より清水組の技師となる。岡本の前妻は技師長渡辺譲の妹であり、その縁故での入社と考えられている。明治33年(1900年)より1年間洋行し、明治34年(1901年)より技師長となる。大正2年(1913年)に田辺淳吉を後任とするも、その後2年ほど監事として社に留まる。清水組が合資会社になる直前に退店。大正7年(1918年)没[3]。
出典
編集- ^ a b “岡本銺太郎関係資料”. 東京大学学術資産等アーカイブズポータル. 2023年6月13日閲覧。
- ^ “第28回 四代技師長岡本銺太郎の製図道具 | アーカイブス | History | Our Heritage | 清水建設”. www.shimz.co.jp. 2023年6月13日閲覧。
- ^ 松波秀子. “明治・大正期の建築作品集にみる清水組設計組織 その1”. 2023年6月13日閲覧。