ハーバート・フィスク・ジョンソン・シニア

ハーバート・フィスク・ジョンソン(Herbert Fisk Johnson、1868年5月27日 - 1928年2月14日)は、アメリカ合衆国の実業家である。SCジョンソンの創業者サミュエル・カーティス・ジョンソン・シニアの息子であり、その跡を継いで同社の第2代指導者となった。

ハーバート・フィスク・ジョンソン
Herbert Fisk Johnson
生誕 (1868-05-27) 1868年5月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州エリリア
死没 1928年2月14日(1928-02-14)(59歳没)
職業 SCジョンソン CEO
子供
テンプレートを表示

生涯

編集

1868年5月27日にオハイオ州エリリア近郊で生まれ、家族とともに、ウィスコンシン州エルクホーン英語版を経てウィスコンシン州ラシーンに移った、

1906年に父のビジネスパートナーとなり、同時に社名がジョンソンズ・プリペアード・ペースト・ワックス・カンパニー(Johnson's Prepared Paste Wax Company)からSCジョンソン・アンド・サン(S. C. Johnson & Son)に変更された[1]

ジョンソンは1928年2月14日に死去した。遺言を残していなかったため、2人の子供、ハーバート・フィスク・ジョンソン・ジュニア英語版ヘンリエッタ・ジョンソン・ルイス英語版の間でジョンソンの遺産を巡って長い法廷闘争となった[2]。ハーバート・フィスク・ジョンソン・ジュニアがSCジョンソンの第3代指導者となった。

脚注

編集
  1. ^ Johnson, Samuel Curtis 1833–1919”. Dictionary of Wisconsin History. Wisconsin Historical Society (2007年). March 24, 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。June 18, 2007閲覧。
  2. ^ Josephine Louis & family”. Forbes. August 25, 2015閲覧。