藤原為長
平安時代中期の貴族
藤原 為長(ふじわら の ためなが、天慶6年(943年)頃? - 寛和2年(986年))は、平安時代中期の貴族。藤原北家良門流、刑部大輔・藤原雅正の子。官位は従五位上・陸奥守[1]。
内蔵頭を経て、天元3年(980年)ごろ陸奥守に任ぜられる。永観2年(984年)慈恵大僧正(良源)が比叡山の西塔に宝幢院を建立しようとして資金不足に悩んでいたところ、為長が国分寺に入った賊を捕えて得た30両を寄付したという逸話がある[2]。寛和2年(986年)陸奥守在任中に没したとされる。
『尊卑分脈』による。
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |