ウジェーヌ・ヨールス(Eugène Joors、1850年2月20日 - 1910年10月23日)は、ベルギーの画家である。静物画などを描き、アントウェルペン美術アカデミーで教えた。

ウジェーヌ・ヨールス
Eugène Joors
1890年ころのヨールス
生誕 (1850-02-20) 1850年2月20日
ボルゲルハウト(Borgerhout)
死没 1910年10月23日(1910-10-23)(60歳没)
ベルヘム(Berchem)
テンプレートを表示

略歴

編集

ベルギー、フランデレン地域アントウェルペン州のボルゲルハウト(Borgerhout)で生まれた。1865年から1870年までアントウェルペン美術アカデミーでポリドール・ボーフォー(Polydore Beaufaux)やニケーズ・ド・ケイゼルジョゼフ・ヴァン・レリウスに学んだ。1886年からアントウェルペン美術アカデミーの静物画の教師になった。同僚にはフランス・モルテルマンス(Frans Mortelmans: 1865-1936)がいた。

画家としては静物画が評価されていたが風俗画も描いた。アントウェルペンの美術家グループの「Als ik Kan」や「 De Scalden」のメンバーになり、ミュンヘンなどの国外の展覧会にもしばしば出展し[1] 、賞を受賞しバイエルンの王子、ルイトポルト・フォン・バイエルンに作品を買い上げられたこともある。シャルル・ヴェルラとともに、ワーテルローの戦いを描いたパノラマ画も描いた。 設計した 亡くなる10年ほど前からアントウェルペンのベルヘム(Berchem)に建築家Jules Hofmanの設計した「De Tulp」という邸に住み、1910年にそこで亡くなった。ベルギーのレオポルド勲章を受勲した。

ヨールスが教えた学生にはヘレーネ・クラマーやモリー・クラマー、ヘレン・イヴェルセン(Helen Iversen)らがいる[2]

作品

編集

脚注

編集
  1. ^ Nr. 439: Joors, Eugène, Antwerpen. Vorbereitungen zur Bowle. In: Illustrierter Katalog der Münchener Jahresausstellung von Kunstwerken Aller Nationen im königl. Glaspalaste 1889, Seite 45.
  2. ^ Eugène Joors at Netherlands Institute for Art History (RKD)

参考文献

編集
  • Eugène Joors (inleiding Max Rooses): Catalogue des tableaux laissés par feu le peintre Eugène Joors. Ronnefeldt & de Volder, Antwerpen, 1911.