アラン・エジャートン (第3代エジャートン男爵)

第3代エジャートン男爵アラン・ド・タットン・エジャートンAlan de Tatton Egerton, 3rd Baron Egerton1845年3月19日1920年9月9日)は、イギリス貴族、政治家。保守党に属し、庶民院議員を務めた[1]

第3代エジャートン男爵、1911年撮影。

生涯

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初代エジャートン男爵ウィリアム・タットン・エジャートンと妻シャーロット・エリザベス(1811年4月22日 – 1878年9月11日、第2代イーリー侯爵ジョン・ロフタスの娘)の息子として[2]、1845年3月19日に生まれた[3]

1872年3月19日に義勇軍英語版の一部隊である第36ミドルセックス・ライフル義勇団(36th Middlesex Rifle Volunteer Corps)にエンサイン英語版(歩兵少尉)として編入され[4]、1873年5月31日に中尉[5]、1877年5月2日に大尉に昇進した[6]。1884年3月22日、義勇団から辞任してチェシャー・ヨーマンリー連隊英語版に中尉として編入された[7]。大尉への昇進を経て、1888年5月12日に少佐の名誉階級を与えられた[8]。のちに正式に少佐になり、中佐の名誉階級を与えられた[9]

1883年3月、兄ウィルブラハムの爵位継承に伴うミッド・チェシャー選挙区英語版の補欠選挙で保守党候補として出馬、4,214票を得て庶民院議員に当選した[1]第3回選挙法改正により選挙区が再編され、ミッド・チェシャー選挙区が廃止されると[1]、エジャートンは1885年イギリス総選挙ナッツフォード選挙区英語版から出馬、4,663票で当選した[10]。その後、1886年イギリス総選挙では無投票、1892年イギリス総選挙では4,754票、1895年イギリス総選挙1900年イギリス総選挙では無投票で再選したが、1906年イギリス総選挙では4,596票(得票率46.5%)で落選した[10]

1901年12月24日にチェシャー副統監に任命され[11]、1902年1月11日に統監代理(Vice Lieutenant)に任命された[12]

1909年3月16日に兄が死去すると、エジャートン男爵位を継承した[2]

1920年9月9日に死去、息子モーリスが爵位を継承した[3]

家族

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1867年6月13日、アンナ・ルイーザ・テイラー(Anna Louisa Taylor、1933年12月22日没、サイモン・ワトソン・テイラーの娘)と結婚[3]、3男をもうけた[9]

  • ウィリアム・ド・タットン(1868年6月11日 – 1870年11月20日[9]
  • セシル(1871年6月14日 – 1888年7月30日[9]
  • モーリス(1874年8月4日 – 1958年1月30日) - 第4代エジャートン男爵[3]

出典

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  1. ^ a b c Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 361. ISBN 0-900178-26-4
  2. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 16–17.
  3. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 298. ISBN 978-0-7509-0154-3
  4. ^ "No. 23844". The London Gazette (英語). 29 March 1872. p. 1681.
  5. ^ "No. 23983". The London Gazette (英語). 3 June 1873. p. 2688.
  6. ^ "No. 24451". The London Gazette (英語). 1 May 1877. p. 2884.
  7. ^ "No. 25330". The London Gazette (英語). 21 March 1884. pp. 1349–1350.
  8. ^ "No. 25815". The London Gazette (英語). 11 May 1888. p. 2699.
  9. ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 873.
  10. ^ a b Craig, F. W. S. (1989) [1974]. British parliamentary election results 1885–1918 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 234. ISBN 0-900178-27-2
  11. ^ "No. 27392". The London Gazette (英語). 31 December 1901. p. 9176.
  12. ^ "No. 27398". The London Gazette (英語). 17 January 1902. p. 392.

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ウィルブラハム・エジャートン閣下
ピアース・エジャートン=ウォーバートン英語版
庶民院議員(ミッド・チェシャー選挙区英語版選出)
1883年 – 1885年
同職:ピアース・エジャートン=ウォーバートン英語版
選挙区廃止
新設選挙区 庶民院議員(ナッツフォード選挙区英語版選出)
1885年1906年
次代
アルフレッド・ジョン・キング英語版
イギリスの爵位
先代
ウィルブラハム・エジャートン
エジャートン男爵
1909年 – 1920年
次代
モーリス・エジャートン