みんなで歌おう'71〜'75
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。(2015年8月) |
『みんなで歌おう'71〜'75』(みんなでうたおうななじゅういち〜ななじゅうご)は、1971年10月6日から1975年9月17日までTBS系列局で放送されていたTBS製作の歌謡番組である。正式名称は『セキスイハウス みんなで歌おう'××』で[1]、××には西暦下2ケタの数字が入っていた。
セキスイハウス みんなで歌おう'71〜'75 | |
---|---|
ジャンル | 歌謡番組 |
出演者 |
井上順之 尾崎紀世彦 千葉紘子 三橋達也 江利チエミ 和田アキ子 |
製作 | |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
1971年10月から1973年9月まで | |
放送期間 | 1971年10月6日 - 1973年9月26日 |
放送時間 | 水曜 21:00 - 21:30 |
放送分 | 30分 |
1973年10月から1975年9月まで | |
放送期間 | 1973年10月10日 - 1975年9月17日 |
放送時間 | 水曜 19:30 - 20:00 |
放送分 | 30分 |
概要 編集
毎回スタジオに400人の観客を招いていた公開番組で、ゲスト歌手と観客が一体となってコーラスを繰り広げていた。基本的にはTBS(東京放送)旧本社Gスタジオからの生放送という形を取っていたが[1]、地方の公会堂での収録放送になる場合もあった。
積水ハウスの一社提供番組(提供クレジット表記は「セキスイハウス」)であることから、番組中には同社のオープニングキャッチが流れた。また、番組のラストには「セキスイハウス ハウジングコーナー」という生CMが存在した。
これ以前にもTBSでは『みんなで歌おう!』という歌謡番組が放送されていたが、内容は本番組とは別物である。
放送時間 編集
いずれも日本標準時。
司会 編集
交代時期については不明。
主題歌 編集
備考 編集
- 本番組は1975年9月17日の放送分が最後となったが、その翌週の24日にもプロ野球ナイター中継の雨傘番組として編成されていた。同日付の新聞のラジオ・テレビ欄には最終回マークが付されており、ナイターが中止になった場合にはこの最終回が放送される予定であったが、ナイターは予定通りに行われたために未放送に終わった。
放送局 編集
この節の加筆が望まれています。 |
- TBS(制作局):水曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで)→水曜 19:30 - 20:00(1973年10月から)
- 新潟放送:水曜 21:00 - 21:30(1972年7月時点)[2]
- 中部日本放送:水曜 21:00 - 21:30(1972年7月時点)[2]
- 朝日放送:水曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで)→水曜 19:30 - 20:00(1973年10月から1975年3月まで)→毎日放送:水曜 19:30 - 20:00(1975年4月の腸捻転解消から)
- RKB毎日放送
- 熊本放送:火曜 18:00 - 18:30( 『'75』の放送時点。水曜19:30枠で日本テレビ製作番組(『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』など)を放送していたための措置)
脚注 編集
参考資料 編集
TBS系列 水曜21:00枠 【本番組まで積水ハウス一社提供枠】 |
||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ヒット歌謡No.1
(1970年4月1日 - 1971年9月29日) |
みんなで歌おう'71
↓ みんなで歌おう'73 (1971年10月6日 - 1973年9月26日) |
|
TBS系列 水曜19:30枠 【本番組から積水ハウス一社提供枠】 |
||
ママはライバル
(1972年10月4日 - 1973年9月26日) |
みんなで歌おう'73
↓ みんなで歌おう'75 (1973年10月10日 - 1975年9月17日) |
七つの文字
(1975年10月1日 - 1976年3月24日) |
朝日放送 水曜19:30枠 | ||
ママはライバル
(1972年10月4日 - 1973年9月26日) |
みんなで歌おう'73
↓ みんなで歌おう'75 (1973年10月10日 - 1975年3月) |
少年徳川家康
(1975年4月9日 - 9月17日) |
毎日放送 水曜19:30枠 | ||
ベスト30歌謡曲
(1974年10月2日 - 1975年3月26日) |
みんなで歌おう'75
(1975年4月 - 9月17日) |
七つの文字
(1975年10月1日 - 1976年3月24日) |