シャダイカグラ(欧字名:Shadai Kagura1986年3月23日 - 2005年4月4日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

シャダイカグラ
欧字表記 Shadai Kagura[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1986年3月23日[1][2]
死没 2005年4月4日(20歳没)[3]
リアルシャダイ[1][2]
ミリーバード[1][2]
母の父 ファバージ[1]
生国 日本の旗 日本北海道門別町[1]
生産者 和田達也[4]
生産牧場 野島牧場[1]
馬主 米田茂[1][2]
調教師 伊藤雄二栗東[1][2]
厩務員 大当末彦[2]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳牝馬(1989年)[1][2]
生涯成績 11戦7勝[1]
獲得賞金 2億3236万9000円[1]
勝ち鞍
GI 桜花賞 1989年
GII ローズステークス 1989年
GIII ペガサスステークス 1989年
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1989年のJRA賞最優秀4歳牝馬である。同年の桜花賞(GI)を優勝した。そのほか同年のローズステークス(GII)、ペガサスステークス(GIII)も優勝した。

デビューまで 編集

誕生までの経緯 編集

ミリーバードは、北海道静内町の藤原昭三牧場で生産された父ファバージの牝馬である。後にGIIを3勝するカシマウイングの半姉だった[5]栗東トレーニングセンター伊藤雄二厩舎に属して競走馬となり、3勝を挙げる活躍だった[5][6]。引退後は、藤原牧場に戻り、繁殖牝馬となっていたが、初仔となるダンシングキャップの牡馬を産んでまもなく、伊藤の取り計らいで北海道門別町の野島牧場に移動していた[7][注釈 1]。伊藤は、優れた相馬眼、牧場を回っては優秀な幼駒を発掘し、好成績を挙げていた[9]。血統通でもあった伊藤は、あらゆる馬主から、交配相手の選定を依頼されていた。ミリーバードの馬主からも、同様に依頼された[9]

ダンシングキャップの初仔を得た後、伊藤は、ディクタスを交配相手に2年連続で選ぶ。そしてディクタスの2番仔、3番仔を得ていた[7]。ところがこれまでの3頭は、伊藤の理想に適う体型とはならなかった[9]。続いて4年目となる1984年、この年の新種牡馬リアルシャダイとの交配を考えていた[7]

リアルシャダイは、社台ファーム吉田照哉がアメリカで購入し冠名シャダイ」を用いて、ヨーロッパで競走馬となっていた[7]。フランスで走り、ドーヴィル大賞典などを制した後、1983年11月に日本に輸入され、1984年から供用されていた[5][7]。しかし伊藤はリアルシャダイには「ある箇所にちょっと気になるところ…あの欠点さえなえければいい種牡馬なのにな[9]」と考えており、結局ミリーバードの4年目の相手とすることを見送っていた[9]。代わってナイスダンサーを交配相手としたが受胎せず、空胎で過ごしていた[5][10]

配合を見送る間に、リアルシャダイの初年度産駒が続々誕生していた。産駒に立ち会った伊藤は、懸念していた「ある欠点」が産駒に受け継がれていないと感じ取り、このことからリアルシャダイの成功を確信する[9]。よってミリーバードの5年目となる1985年、ミリーバードとリアルシャダイの交配が実現し、受胎に至った[9]

幼駒時代 編集

1986年3月23日、北海道門別町の野島牧場にてミリーバードの5番仔となる栗毛の牝馬(後のシャダイカグラ)が誕生する[11]。5番仔は、胸前が充実して、骨太だった[7]。頭が良く、人には従順であったが、他の馬には負けず嫌いの一面も持ち併せており、幼駒の段階から期待を集めていた[7]。伊藤は、この5番仔を馬主歴20年超の70代、米田茂に紹介した[6]。米田は「前幅のあるいいうま〔ママ[6]」と感じ取って、購入を決断した。リアルシャダイ産駒の評価がまだ定まっていない時であり、安価の800万円での取引だった[12]

坪重兵衛調教師の夫人の親戚であることをきっかけに馬主となった米田の、最初の所有馬は、母馬「スズカグラ」から機械的に名付けていた「ミスカグラ」という牝馬だった[6]。ミスカグラは、5勝を挙げたほか、1969年には桜花賞に出走したが、ヒデコトブキトウメイなどに敵わず18着、最下位に敗れていた[6]。以来、米田は、思い出のミスカグラの「カグラ」を冠名に用いて馬主を続ける。馬主歴20年超にまで到達していたが、これまで重賞を勝利したことはなかった[6]。米田は5番仔に、父リアルシャダイの「シャダイ」に冠名「カグラ」を組み合わせた「シャダイカグラ」という競走馬名を与えていた[11]

シャダイカグラは、交配を行った伊藤厩舎に入厩する。伊藤が扱った牝馬では、牧場で発掘したマックスビューティが出世していた。1987年の桜花賞、優駿牝馬(オークス)を制し、牝馬二冠を果たしていた[13]。マックスビューティは、仕上げやすい馬だった[14]。対してシャダイカグラは、調教を積まないと仕上がらず、おまけに頻繁に脚の腫れ、ソエをきたしたり、熱発したりする軟弱さも兼ねて、伊藤に苦労をかけていた[14]

リアルシャダイの初年度産駒は、先にデビューしていた。血統から晩成のステイヤー傾向であると考えられていたが、デビュー直後から良く走り、クラシック候補も多数輩出していた[9]。伊藤厩舎にも初年度産駒であるグッドタイミング(母父:パーソロン)という牡馬がいた[15]。グッドタイミングは、新馬戦を勝利してからクラシック出走を目指して出走を重ね、直前の若草賞(OP)を勝利してクラシック戦線に乗っていた[16]。しかし故障して戦線離脱、参戦は叶わなかった[15]。他にもクラシック戦線のリアルシャダイ産駒は、続々故障し、戦線離脱が多かった[15]。この事象を踏まえて、伊藤はこのような結論を得ていた。

リアルシャダイ産駒は決して早熟タイプではありません。本来はやはり晩熟のステイヤータイプだと思います。まだ未完成なのに3歳の早い時期に短距離の新馬戦を勝ちあがるのは、それだけ産駒の能力指数が高いということなんですよ。新馬戦を強い勝ち方するものだから、どの調教師もこれはいけると思って、調教をより強めて失敗するんです。 — 伊藤雄二[15]

以上のことから、伊藤は、シャダイカグラの調教を慎重に行うことを心掛けていた[15]。後に「初めて扱ったリアルシャダイ産駒がシャダイカグラだったら、たぶんグッドタイミングみたいにこわしてしまっていたと思います。いまのシャダイカグラがあるのはグッドタイミングのおかげ[15]」であると述べている。

競走馬時代 編集

クラシックまでの道程 編集

6月13日、札幌競馬場新馬戦(ダート1000メートル)で、柴田政人を鞍上にデビュー。入厩直後のデビューで仕上がっておらず、4番人気の評価だったが、2着[12]。ただしレコードで制したマツスイフトに7馬身差離された2着だった[12]。その後、体重を減らして7月3日、同条件の2戦目の新馬戦で初勝利を挙げた[12]

その後は骨膜炎をきたして休養するも、10月22日、デビュー3年目の武豊を起用して臨んだりんどう賞(400万円以下)で2勝目を挙げる[12]。それから11月26日、京都3歳ステークス(OP)では逃げて、ラッキーゲランらを4馬身突き放して3勝目、オープン競走優勝まで成り上がった[12]。伊藤は、夏、1勝馬の時点で、シャダイカグラの4歳の目標を桜花賞に定め、それに連なるローテーションを考えていた。3歳暮れのラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスから、4歳2月のエルフィンステークスを挟み、3月のペガサスステークスを前哨戦にして目標に挑もうと考えていた[17]

12月11日のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(GIII)で重賞初出走を果たす。りんどう賞2着のミスジュニヤス、新馬戦勝利から臨むタニノターゲットなどと対して、1.6倍の1番人気だった[18]。逃げたタニノターゲットに次ぐ2番手を追走し、直線でタニノターゲットを追い詰めていたが、アタマ差だけ届かなかった[18][19]。タニノターゲットに逃げ切りを許し、2着に敗れた[20]。年をまたいで2月5日、エルフィンステークス(OP)では、初めて単枠指定となり、1番人気に支持される[12]。重賞2着のライトカラーと対したが、2番手追走から最終コーナーで突き放し、5馬身差をつけて優勝、4勝目を挙げた[12]

3月5日、桜花賞と同じ阪神競馬場のマイルで行われるペガサスステークス(GIII)では、前年の最優秀3歳牝馬阪神3歳ステークス2着のアイドルマリーとの初対決となった[21]。数多くの牡馬を差し置いて、アイドルマリーとともに単枠指定[21]、人気もこの2頭に集中したが、こちらが1番人気だった[17]

ナルシスノワールが逃げる中、好位を確保。背後にアイドルマリーがおり、マークされる形だった[17]。第3コーナーでアイドルマリーより先に仕掛け、逃げるナルシスノワールに接近し、並びかけて最終コーナーを通過した[17]。直線では、アイドルマリーを突き放し、粘るナルシスノワールと横並びの一騎打ちに持ち込んだ[17]。ナルシスノワールの抵抗激しく、長くハナを争ったが、終いで差し切りを果たした[22]。ナルシスノワールに1馬身半、アイドルマリーには6馬身以上突き放して優勝、重賞初勝利を挙げた[21]

桜花賞 編集

結果 編集

続いて4月9日、桜花賞(GI)に臨む。7戦5勝7連対で迎えた本番でも、単枠指定の対象となった[23]。直前の7日に行われた枠順抽選会では、単枠指定のためにトップバッターで参加した厩舎の笹田和秀が8枠を引き当てる[24]。すなわちオートマティックに大外枠18番からの発走が決定した[23]。舞台となる阪神のマイルコースは、スタートからすぐコーナーを迎えるため、外枠の先行馬は、好位を確保するのは難しかった[25]。それゆえこれまで先行し、好位に取りついて勝利を積み重ねてきたシャダイカグラにとっては、とても大きな不利だった[26]

武は、最終追い切りの後「9割方勝てると思う」と見込んでいたが、ただし「大外枠を引いたりしなければ」と挙げていた[27]。しかし最悪の大外枠が与えられたことで、武、伊藤共にショックが大きかった。伊藤は「大外は0.5秒の不利」があると捉えていた[24]。やがて気持ちを整理して、克服の自信が湧き上っても、周りで拡がった伝染病を唯一潜り抜けてきたなど、過去にシャダイカグラにもたらされた幸運を引き合いに出して「大外枠の不利もその強運で克服してくれる[24]」と、運にすがることしかできなかった[24]。それでもシャダイカグラと武の人気は、衰えなかった。アイドルマリー、報知杯4歳牝馬特別優勝馬コクサイリーベ、タニノターゲット、シンザン記念優勝馬ファンドリポポらと対して、2.2倍の1番人気だった[12]

大外枠からスタートしたが、出遅れていた[26]。他がシャダイカグラに対抗するために、好位を得るために、積極的に先行する中、1頭はぐれて最後方となり、武が促して、馬群の最後方を追走していた[25]。やがて内側に持ち込んで馬群に突入、コーナーワークでロスを取り戻し、最終コーナーを6番手の好位で迎えることとなる[25]。「魔の桜花賞ペース」と呼ばれるハイペースとなる中、直線では、先行勢がおしなべて脱落していた[26]。先に抜け出したタニノターゲットを、後れて好位まで押し上げたホクトビーナスがかわし、突き放して独走となっていた[28]

映像外部リンク
  1989年 桜花賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

シャダイカグラは、それを外から追うべく、スパートする。まず馬群の大勢を置き去りにし、タニノターゲットをかわして2番手に進出[26]。そして独走するホクトビーナスに詰め寄っていた。ホクトビーナスが抵抗してリードを保っていたが、終いでシャダイカグラはもう一伸びを果たし、寸前で並びかけた[26]。ホクトビーナスをクビ差差し切ったところで決勝線を通過する[23]

桜花賞、クラシック戴冠を果たす。1961年スギヒメ以来となる大外枠からの桜花賞優勝を果たした[26]。また1985年、天皇賞(春)シンボリルドルフ以来となる大外枠単枠指定からのGI優勝[29]、さらに1975年テスコガビー、1986年メジロラモーヌに続いて史上3頭目となる単枠指定の桜花賞優勝を成し遂げている[29]

レースぶりについて 編集

4年目、20歳の武は、桜花賞初勝利[29]、前年秋の菊花賞スーパークリークで制して以来となるGI2勝目[26]、牝馬クラシック初勝利を挙げている。武の父邦彦が1972年にアチーブスターで、1974年にタカエノカオリで優勝しており、桜花賞親子二代制覇を果たした[29]。若年ながら、勝利を積み重ね、大タイトルを奪取する武には、競馬場にそれまで少なかった若い女性ファンを呼び込んでおり、桜花賞の当日も競馬場の最前列に女性ファンが多かった[30]。そのため未婚の武の動向について、写真週刊誌など世間の興味を惹いていたが、どこからも漏れ伝わる話はなかった[31]。そんな頃、牝馬シャダイカグラが、武の「恋人」だと呼ばれるようになっていた[11]

大外、さらに出遅れの不利を覆した武の騎乗は、称賛され、果ては「武が意図的に出遅れさせた」との憶測まで広まり、武の「伝説」として崇められるようになった[32]。しかし後に江夏豊との対談において「意図的じゃなく、本当の出遅れ。でも、言えなくなっちゃって[32]」と伝説を翻している。

シャダイカグラは、伊藤により万全の状態で仕上げられていた[24]。しかし当日、前走からマイナス8キロ減少、仕上がりすぎて精神的にギリギリの状態、おまけに入れ込みが激しかった[33]。大外では、先行と後方待機の二択を考えていたが、この入れ込みでは好スタートできないと判断し、後方待機からの追い込みを覚悟していた[26]。スタートは出遅れの形となったが覚悟していたからこそ、冷静に対処することができた[34]。桜花賞のコースは、最終コーナーで内側が空くことを事前に知っており、その内側に拘って追走し、挽回を果たしている[26]。「もしポンとスタートを切ってから下げたなら、もっと楽に勝っていたと思う[32]」と回顧している。

優駿牝馬 編集

続いて5月21日、牝馬クラシック二冠目の優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。桜花賞の大外枠を克服したことで、二冠の期待が高まっていた[35]。今回も単枠指定となったが、有利な内枠、3枠7番が与えられていた[36][35]。人気は集中し、単勝オッズ1.8倍の1番人気となる[35]。単勝支持率は、二冠を果たして後に史上初めて牝馬三冠を成し遂げることになるメジロラモーヌの、1986年優駿牝馬と同率の43パーセント、過去30年で最高の支持率となっていた[37]

映像外部リンク
  1989年 優駿牝馬(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

出遅れずにスタートして先行、8、9番手を確保、周りのマークを受けながら追走していた[38]。最終コーナーにかけて進出、5番手で直線に向いていた[37]。手応えがあるまま馬場の中央に持ち出されてスパートし、先行するヤンゲストシチーに接近、残り100メートルでそれをかわしていた。これを以て先頭に躍り出るはずだった[38]。しかし同時に、シャダイカグラの背後をマークするように追走し続け、直線で大外から進出したライトカラーに追い詰められる[39]

ヤンゲストシチーをかわして先頭に躍り出る頃には、既に並ばれており、終いの勢いはライトカラーに分があった[37]。2頭の一騎打ちでゴール手前に至ったが、ライトカラーが先んじていた[40]。シャダイカグラは、クビ差だけ後れを取る2着敗退、二冠はならなかった[36]。伊藤は敗因を「向正面で右前の向こうずねのところをケられて〔ママ〕(外傷)リズムを崩したこともあったのでは[41]」と分析している。

エリザベス女王杯 編集

この後は、栗東での夏休みを過ごす[42]笹針治療を2回施された[43]。秋は、牝馬三冠競走の最終戦であるエリザベス女王杯参戦を目指し、エリザベス女王杯を引退レースとすることになった[42][43]。10月22日、トライアル競走であるローズステークス(GII)で始動する。前走敗れたライトカラー、3連勝中の上がり馬シンエイロータス、サファイヤステークス優勝馬リリーズブーケなどと対したが、単枠指定となり、単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持されていた[44][43]。好スタートから、他の人気馬に先んじる2番手を確保し、追走する[45]。最終コーナーで逃げ馬をかわして抜け出していた[43]。後方から人気のシンエイロータス、リリーズブーケが追い込んでいたが、接近を許さなかった[45]。後方に1馬身半差をつけて、重賞3勝目[44]。優先出走権を獲得した[44]

この後、両前足にむくみが出てしまうなど脚部不安をきたしていた[46]。これまでのダートコースを用いた調教ができず、坂路とプールを併用した調教で仕上げられて、11月12日のエリザベス女王杯(GI)に臨むこととなる[46][47]。引退レースであり、これを優勝もしくは2着以内に入れば、生涯連対の記録達成がかかっていた[43]。両前脚にピンクのバンテージを着用して参戦する[46]メジロモントレー、カッティングエッジらと対して、単枠指定となり、2.2倍の1番人気に推されていた[46]

映像外部リンク
  1989年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

大外枠8枠20番から好スタートを見せて、外枠のロスを取り戻し、好位の外側を確保した[46]。向こう正面で他の好位勢を下して、単独2番手となり、第3コーナーでは、逃げ馬の直後にまで詰め寄っていた[46]。しかし第3コーナーの坂の下りにて、突然失速し、後退、追走することができなかった[47]。異常をきたした右前脚を引きずりながら完走したが、先頭を争う馬群から置き去りにされていた[46]。1着を得た20番人気サンドピアリスに7.6秒遅れ、ブービー賞から大差、5秒以上遅れた最下位で決勝線を通過、20着敗退となる[48][49]。引退レースにして初めて連対を外し、生涯連対を逃した[47]

レース直後の第1コーナーで武は下馬している[49]。失速、最下位の原因は、右前脚の繋靭帯断裂だった[48]。重傷だったが、命に別状はなく、繁殖牝馬としての活動にも影響はなかった[49]。最低人気サンドピアリスの優勝と、1番人気シャダイカグラの故障最下位で直後の競馬場は、静まり返り、歓声が起こったのは、大型配当が発表されたときだったという[49]。この年のJRA賞では、全172票中167票を集めて、最優秀4歳牝馬を受賞している[50][注釈 2]

繁殖牝馬時代 編集

1989年12月6日、生まれ故郷の北海道門別町の野島牧場に凱旋し、繁殖牝馬として繋養された[51]。初年度となる1991年に初仔を産んでいる。毎年のように交配し続けたが、1995年から1998年までの4年間は仔を得られないなど、仔出しが悪かった[52]。馬名登録をされたのは、6頭に留まり、競走馬デビューできたのは、4頭だった。2002年には平取町のびらとり牧場で繋養され、2005年4月4日、動脈瘤破裂をきたして20歳で死亡した[3]

競走成績 編集

以下の内容は、netkeiba.com[53]およびJBISサーチ[54]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム 着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
1988. 06. 19 札幌 3歳新馬 ダ1000m(重) 7 4 4 6.1(4人) 02着 1:00.1 -1.2 柴田政人 53 マツスイフト 470
07. 03 札幌 3歳新馬 ダ1000m(良) 5 4 4 1.1(1人) 01着 1:02.1 -0.1 柴田政人 53 (スーパーワン) 450
10. 22 京都 りんどう賞 5下 芝1400m(稍) 10 3 3 5.7(3人) 01着 1:24.8 -0.1 武豊 53 (ミスジュニヤス) 452
11. 26 京都 京都3歳S OP 芝1600m(良) 10 5 5 3.2(1人) 01着 1:37.8 -0.7 武豊 54 ラッキーゲラン 454
12. 11 阪神 ラジオたんぱ杯3歳牝馬S GIII 芝1600m(良) 11 6 6 1.6(1人) 02着 1:36.1 -0.0 武豊 53 タニノターゲット 456
1989. 02. 05 京都 エルフィンS OP 芝1600m(良) 9 1 1 1.6(1人) 01着 1:36.2 -0.8 武豊 55 ライトカラー 456
03. 05 阪神 ペガサスS GIII 芝1600m(重) 14 5 9 2.2(1人) 01着 1:37.5 -0.2 武豊 54 ナルシスノワール 454
04. 09 阪神 桜花賞 GI 芝1600m(稍) 18 8 18 2.2(1人) 01着 1:37.5 -0.0 武豊 55 ホクトビーナス 446
05. 21 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(稍) 24 3 7 1.8(1人) 02着 2:29.0 -0.0 武豊 55 ライトカラー 444
10. 22 京都 ローズS GII 芝2000m(稍) 10 8 10 1.6(1人) 01着 2:01.5 -0.2 武豊 55 (シンエイロータス) 454
11. 12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2400m(良) 20 8 20 2.2(1人) 20着 2:36.4 -7.6 武豊 55 サンドピアリス 454
  • 枠番・馬番の太字強調は、単枠指定を示す。内容はnetkeiba.comおよびJBISサーチのほか、日本中央競馬会『中央競馬全重賞競走成績 GI編』(1996年)[55]に基づく。

繁殖成績 編集

生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 供用 出典
初仔 1991年 カグラグレート 鹿毛 ミスターシービー 米田チヱ子
→蜂谷伊佐雄
栗東・伊藤雄二
上山・柳沼幸男
3戦0勝 [56]
2番仔 1992年 エイブルカグラ 栗毛 ジェイドロバリー 米田チヱ子 栗東・伊藤雄二 1戦1勝 繁殖 [57]
1993年 流産 ダンシングブレーヴ [4]
3番仔 1994年 ゴールドウインク 栗毛 サクラユタカオー 野島春男 栗東・田島良保 (不出走) 繁殖 [58]
4番仔 1995年 生後直死 ジェイドロバリー [4]
1996年 種付けなし [4]
1997年 流産 サンデーサイレンス [4]
1998年 不受胎 ティンバーカントリー [4]
5番仔 1999年 メイショウカルメン 鹿毛 エアダブリン 松本和子 栗東・伊藤雄二 (不出走) 繁殖 [59]
6番仔 2000年 ジェイドカグラ 栗毛 ジェイドロバリー 小林肇 美浦・石毛善彦 1戦0勝 [60]
2001年 不受胎 オペラハウス [4]
2002年 流産 ロイヤルタッチ [4]
7番仔 2003年 オプティマルマザー 栗毛 マーベラスサンデー 稲原敬三
→びらとり牧場
盛岡・櫻田勝男
→栗東・伊藤雄二
6戦3勝 [61]
2004年 不受胎 トウカイテイオー [4]
2005年 ラスカルスズカ [4]

血統表 編集

シャダイカグラ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロベルト系
[§ 2]

リアルシャダイ 1979
黒鹿毛 アメリカ
父の父
Roberto 1969
鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Desert Vixen 1970
黒鹿毛 アメリカ
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Desert Trial Moslem Chief
Scotch Verdict

ミリーバード 1976
栗毛 日本
*ファバージ
Faberge 1961
鹿毛 フランス
Princely Gift Nasrullah
Blanche
Spring Offensive Charles o'Malley
Wild Arum
母の母
*ラバテラ
Lavatera 1970
栗毛 アイルランド
Le Haar Roi Herode
Vahren
Begonia Sundridge
Americus Girl
母系(F-No.) ラバテラ系(FN:16-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 5×4 [§ 4]
出典
  1. ^ netkeiba.com シャダイカグラ 5代血統表2019年6月17日閲覧
  2. ^ netkeiba.com シャダイカグラ 5代血統表2019年6月17日閲覧
  3. ^ [62]netkeiba.com ストレイトガール 5代血統表2019年6月17日閲覧
  4. ^ netkeiba.com シャダイカグラ 5代血統表2019年6月17日閲覧

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1971年創業の野島牧場の代表は、野島春男である[8]。野島は、名古屋競馬場の元調教師であり、ヒカリデユールゴールドイーグル、カズシゲ、スピーデーワンダーなどに関与した過去があった[8]。伊藤雄二とは長い付き合いがあった[8]
  2. ^ 以下、サンドピアリス3票。該当馬なし2票[50]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p シャダイカグラ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『優駿』1990年2月号 53頁
  3. ^ a b 桜花賞馬、シャダイカグラが死亡 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年11月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j シャダイカグラ(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月14日閲覧。
  5. ^ a b c d 『優駿』1989年6月号 133頁
  6. ^ a b c d e f 『優駿』1989年5月号 64頁
  7. ^ a b c d e f g 『優駿』1993年7月号 65頁
  8. ^ a b c 『優駿』1989年7月号 23頁
  9. ^ a b c d e f g h 『優駿』1989年5月号 58頁
  10. ^ ミリーバード(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
  11. ^ a b c 『優駿』1993年7月号 64頁
  12. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1993年7月号 66頁
  13. ^ マツクスビユーテイ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年11月14日閲覧。
  14. ^ a b 『優駿』1989年5月号 61頁
  15. ^ a b c d e f 『優駿』1989年5月号 59頁
  16. ^ 競走成績:全競走成績|グッドタイミング|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年11月14日閲覧。
  17. ^ a b c d e 『優駿』1989年5月号 134頁
  18. ^ a b 『優駿』1989年2月号 158頁
  19. ^ 『優駿』1989年2月号 84頁
  20. ^ 『優駿』1989年2月号 159頁
  21. ^ a b c 『優駿』1989年5月号 135頁
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参考文献 編集

  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)
  • 武豊、島田明宏『頂上を駆ける - 武豊対談集』(ザ・マサダ、2000年)
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1989年2月号
      • 「【第5回ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス】名門の娘は、タニノターゲット」
      • 渡辺和昭(ラジオたんぱ)「【今月の記録室】第5回ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(GIII)タニノターゲット」
    • 1989年4月号
      • 「【サラブレッドのスピード】桜花賞・一番速い馬は!?」
    • 1989年5月号
      • 「【第49回桜花賞】賛歌。ヒロイン&ヒーロー」
      • 吉沢譲治「【桜花賞ドキュメント 調教の秘密】桜花賞馬と伊藤雄二調教師の一週間」
      • 「【オーナー愛馬を語る(37)】シャダイカグラの米田茂さん」
      • 「【第3回ペガサスステークス】順風帆走、シャダイカグラ」
      • 南庄司(大阪新聞)「【今月の記録室】第3回ペガサスステークス(GIII)シャダイカグラ」
    • 1989年6月号
      • 用貝成子(関西新聞)「【今月の記録室】第49回桜花賞(GI)シャダイカグラ」
    • 1989年7月号
      • 「【第50回オークス】ユタカ&カグラ、ギャルの悲鳴も打ち砕き、ライトカラー」
      • 吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち」
      • 天野保彦(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第50回オークス(GI)ライトカラー」
    • 1989年9月号
      • 「【秋をめざす有力馬たち】4歳牝馬有力馬の近況 シャダイカグラ、ライトカラーともに順調」
      • 井上泰司(スポーツニッポン大阪)「【秋をめざす有力馬たち】伏兵馬をさがせ!? 4歳も古馬も新しいヒーローの誕生があるか!?」
    • 1989年12月号
      • 「【第14回エリザベス女王杯】優勝はハイセイコーの娘、サンドピアリス」
      • 「【第7回ローズステークス】女王の貫録 シャダイカグラ」
      • 山本浩之(関西テレビ)「【今月の記録室】第7回関西テレビ放送賞 ローズステークス〈エリザベス女王杯トライアル〉(GII)」
    • 1990年1月号
      • 「【今月のトピックス】シャダイカグラとミスターシービー この春、似合いのカップルが誕生する。」
      • 永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第14回エリザベス女王杯(GI)サンドピアリス」
    • 1990年2月号
      • 「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
    • 1993年7月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(86)】桜下に舞う シャダイカグラ」

外部リンク 編集