ニチドウアラシ日本競走馬種牡馬1980年天皇賞(春)を制したニチドウタローは同期、同生産牧場、同馬主、同厩舎であり、誕生日までまったく同じだった。村本善之が全14戦に騎乗した。半兄金鯱賞3着馬ニチドウライザーがいる。

  • 馬齢については原則旧表記(数え)とする。
ニチドウアラシ
2004年9月3日撮影(社台スタリオン荻伏)
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1976年3月20日
死没 2007年(31歳没)
ボールドアンドエイブル
シャトーローズ
母の父 シャトーゲイ
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 社台ファーム早来
馬主 山田敏夫
調教師 坂田正行栗東
競走成績
生涯成績 14戦8勝
獲得賞金 1億4205万4200円
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経歴 編集

1978年11月にデビュー戦の新馬戦を優勝。脚部不安によるリタイアを繰り返したため八大競走に出走することはついになかったが、4歳時に金鯱賞を優勝したのを皮切りに重賞を3勝し、出走したすべてのレースで3着以内となる堅実な走りを見せた。1980年にはサファイヤステークスでカツラノハイセイコダービー卿チャレンジトロフィーサクラシンゲキを破って優勝を収めた。後者のレースを観戦した競馬評論家大川慶次郎は、本格的なスパートをかけることなくサクラシンゲキを交わしたレース振りを高く評価した。

競走馬を引退したのちは種牡馬となり、3頭の重賞優勝馬を輩出した。1994年限りで種牡馬を引退し、以後は功労馬として余生を送ったが、2007年に死亡している。

戦績 編集

主な産駒 編集

ブルードメアサイアーとしての主な産駒 編集

エピソード 編集

  • マイルから中距離を得意としており、適距離のレース体系ではなかったため、八大競走には出走していない。八大競走以外の関東で開催される重賞には、関西馬が出走するケースはほとんどなかったが、当馬は距離適性のことを考えてしばし遠征を行い、また結果も残している。前述の通り、所属地区厩舎以外の場で開催される(北海道シリーズを除く)、現在はGII・GIIIクラスに当たる重賞に出走するというレース選択について先鞭をつけた馬の一頭であった。
  • 1981年のマイラーズカップでは1番人気に推された。レースは直線に入り、2着となるウエスタンジョージと馬体を並べ、その外からカツラノハイセイコが強襲して、最後はカツラノハイセイコが2頭をまとめて差しきったレースであった。当馬は、直線で粘りきれずウエスタンジョージからも1馬身4分の1遅れの3着に終った。その後、レース中に故障していることが判明し、引退を余儀なくされている。

血統表 編集

ニチドウアラシ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ボールドルーラー系
[§ 2]

*ボールドアンドエイブル
Bold and Able
1968 栗毛 アメリカ
父の父
*ボールドラッド (USA)
Bold Lad (USA)
1962 栗毛 アメリカ
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Misty Morn Princequillo
Grey Flight
父の母
Real Delight
1949 鹿毛 アメリカ
Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Blue Delight Blue Larkspur
Chicleight

*シャトーローズ
Chateau Rose
1968 芦毛 アメリカ
*シャトーゲイ
Chateaugay
1960 栗毛 アメリカ
Swaps Khaled
Iron Reward
Banquet Bell Polynesian
Dinner Horn
母の母
Bowl of Roses
1961 芦毛 アメリカ
Alibhai Hyperion
Teresina
Boudoir Mahmoud
Kampala
母系(F-No.) シヤトーローズ(USA)(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Mahmoud5×4=9.38%、Hyperion5×4=9.38% (母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [1]
  4. ^ [1]


曾祖母Boudoirは1941年アイリッシュ1000ギニー2着馬。

参考文献・出典 編集

  • サラブレッド探偵局(編) 編『競馬SLG 種牡馬名鑑3』光栄、1996年。ISBN 4-87719-380-4 
  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ニチドウアラシ”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2017年8月8日閲覧。
  2. ^ ニチドウアラシの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2017年8月8日閲覧。

外部リンク 編集