バークブレッド とは、樹木の師部(形成層)を挽いた粉を原料に用いた伝統的食事である。

バークブレッド
ヨーロッパアカマツの内皮を火で乾燥させている様子
種類 救荒食パン
発祥地 スカンジナビア半島
主な材料 小麦粉, , 樹木の内皮(形成層)
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歴史 編集

起源はスカンジナビア地方にあるとみられる。[1] 中世の文献に言及が見られるほか、それより古いサーミ人の文化との関連も指摘されている。[2] 18世紀から19世紀初頭(小氷期)にかけて、北欧は数度深刻な凶作に見舞われていた。コムギの供給量も大きく落ち込んだため、小麦粉の代替たりうる品の開発が模索されていた。 1742年に、ノルウェークリスチャンサンから、「非常パン」の試作品がコペンハーゲンの王国政府に届けられたが、その際には樹皮を用いたパンのほか、穀皮や焼いた骨を材料としたものもあった。[3] ナポレオン戦争のさなかには、コケを用いたパンさえ見られた(英語版のコケのページにも類似した言及がある)。[4]

ノルウェーにおいて救荒食として最後にバークブレッドが用いられたのもこのナポレオン戦争期である。 ジャガイモが導入されたことにより、農民は穀物の不作時にも代替となる主食を得られるようになり、バークブレッドやコケのケーキをもはや必要としなくなった。[5] スウェーデンの北部では、サーミ人によるヨーロッパアカマツの樹皮の収穫は1890年代にも形跡があり、またフィンランドでは pettuleipä ( "松の木皮のパン"の意) が食糧不足の際、特に1695年から1697年の大飢饉[6]1860年代の飢饉、そしてもっとも最近では1918年のフィンランド内戦時に、非常食として食べられていた。[2][7]

調理行程 編集

指ほどの太さの小枝を落葉樹や低木から集め、樹皮を剥がして内皮 (師部のほか、維管束形成層も含まれる) をまだ新鮮なうちに集める。黄色や緑色 (木の種類による)をした内皮は直火、オーブン、あるいは2~3日日光に当てて乾かされ、乳鉢もしくはで微粉にされ、小麦粉に加えられる。乾燥させた樹皮片を直接穀物に加え、まとめて臼で挽いてもよい。 その後は通常のパンと同様の手法で、イーストを加えつつ焼き上げる。

バークブレッドは樹皮成分の影響で、通常のパンに比べ膨張しにくい。樹皮粉の割合が高まるほどに膨張しなくなるため、フラットブレッドとして作られることもしばしばあった。また樹皮粉を用いてを作ることもできる。[8]

食物としての樹皮 編集

樹皮はニレセイヨウトネリコヤマナラシセイヨウナナカマドカバノキから取られるのが普通だったが、その他にも歴史的にはヨーロッパアカマツやアイスランドゴケ (ノルウェー語では"パンゴケ"と呼ばれることもある) が原料として用いられたことがある。木の幹のうち食用たりうる部分は内皮の部分のみで、残りの部分や樹皮は人体には消化できないセルロースで構成されているため食べられない。完成した「樹皮粉」は穀物粉の1/4~1/3程度加えられる。 18世紀中ごろにベルゲンの聖職者エリック・ポントピダンはしばしばもろくなるバークブレッドが互いにくっつきやすくなるとして、ニレの樹皮粉の使用を勧めている。[9]

しかし樹皮粉を用いると通常のパンに比して苦みが増し、また出来上がるパンが食欲をそそられない灰緑色になってしまう。イースト菌が樹皮粉を十分に分解できないためパンが膨らみにくく、硬く、型崩れしやすい、といった弱点も抱える。 今日では樹皮粉はペイストリーに料理的興味から用いられることが時たまあるが、バークブレッドは非常食と捉えられており、その他の救荒食と同様、穀物の生産性が上昇するとともにその存在意義を失った。

バークブレッドは栄養価の面でも劣っており、「腹にたまる」という実感のわりに実際に得られる栄養は少ない。 ポントピダンもその他の人々も、1740年代の飢饉における高い死亡率における、全般的な食糧不足により、「不健康なバークブレッド」に人々が頼らざるを得なかったことの影響を指摘している。[3][9] しかしながらサーミ人の間では、樹皮とヨーロッパアカマツの樹皮から作られたバークブレッドは重要なビタミンC源として供されていた。[2]

関連 編集

  1. ^ Vilhelm Moberg (1973). A History of the Swedish People. Stockholm: Norstedt 
  2. ^ a b c Zackrisson, O.; Östlund, L.; Korhonen, O.; Bergman, I. (2000), “The ancient use of Pinus sylvestris L. (scots pine) inner bark by Sami people in northern Sweden, related to cultural and ecological factors”, Vegetation History and Archaeobotany 9 (2): 99–109, doi:10.1007/bf01300060, http://cat.inist.fr/?aModele=afficheN&cpsidt=1559092 
  3. ^ a b Template:Kilde www
  4. ^ Template:Kilde www
  5. ^ Notaker, Henry (2006). Ganens makt: Norsk kokekunst og matkultur gjennom tusen år. Oslo: Aschehoug. ISBN 8203260098 
  6. ^ Pauli Juusela (2013年4月17日). “Nälkä toi Suomeen kuolonvuodet. Nälänhätä” (フィンランド語). valomerkki.fi. 2016年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月1日閲覧。
  7. ^ Template:Kilde www
  8. ^ "Uppteckningar gällande Nödåren" Archived December 28, 2013, at the Wayback Machine., (in Swedish) told by Augusta Karlsson, born 1856
  9. ^ a b Pontoppidan, E. (1752/1753): Forsøk til Norges naturlige historie (Attempt at the Natural History of Norway). Vol I and II.