18区 (パリ)

フランス・パリ市内の行政区
パリ18区から転送)

パリ18区 (18く、: 18e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。パリ18区ともいう。市の北部にあり、セーヌ川の北側に位置している。モンマルトルの丘は有名。

パリ・18区の位置
地図
パリ・18区の位置

概要 編集

パリの18区は、市の北部にある行政区。「ビュット=モンマルトル区 (Arrondissement des Buttes-Montmartre)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川の北の地域にある。北には、ペリフェリック(パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、セーヌ=サン=ドニ県に接している。区内のモンマルトルの丘はパリで最も高い地点であり、その頂からはパリの眺望を楽しむことができる。人口は184,586人(1999年)で、20区の中では2番目に多い(人口の推移等詳細については後述)。

 
ドゥジャン通り (Rue Dejean) のマルシェ風景、2015年。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその18番目にあたることから、「18区」と名づけられた。

区南西部の小高い丘一帯はモンマルトルと呼ばれ、モンパルナスとともに"芸術の街"として世界的に有名である。区内には、サクレ・クール寺院エスパス・ダリモンマルトル墓地ムーラン・ルージュなどがある。

18区の東側一帯は観光地であるモンマルトル一帯とは様相を異にする。パリ北部から東部一帯にかけて、元来移民の多い地域であるが、モンマルトルの東側地域、シャトー・ルージュ (Château Rouge) やバルベス大通り (Boulevard Barbès) 界隈などのいわゆる"ラ・シャペル (La Chapelle) 一帯"は、マグリブ諸国出身のアラブ系に加え、1990年代から(サハラ以南の)アフリカ系移民が多く暮らす街となっている[3]

 
パリ・18区の観光概略図

地理 編集

 
サクレ・クール寺院パリ4区サン=ジャック塔 (Tour Saint-Jacques) からの眺め
 
観光客相手に(有料で)似顔絵を描く画家が集うテルトル広場モンマルトルの丘

18区は、パリの北部に位置している。セーヌ川の北の地域にあり[4]、パリで最も高いモンマルトルの丘からは南のパリ市街の眺望を楽しむことができる。面積は、6.01 平方キロメートル。

北は、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれ、セーヌ=サン=ドニ県の各自治体、北東はオーベルヴィリエに、北はサン=ドニに、北西はサントゥアンに接している。南は、同じパリの行政区である9区10区に接している。東は19区に接し、西は17区に接している。

隣接する自治体(行政区) 編集

地区(カルチェ) 編集

 
パリ・18区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。18区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

住民 編集

人口 編集

18区の人口は、1931年に288,810人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には3分の2以下の184,586人となった。20区のうちでは15区に次いで2番目に人口が多く、1982年以降は、パリの人口の8パーセント台で推移している。2005年の推計では188,500人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の3分の2以下の30,739人となっている。20区のうちでは11区10区に次いで3番目に人口密度が高く、パリの平均人口密度の1.3倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 138,109 1,851,792 7.46% 22,999 21,303
1931年 288,810 2,891,020 9.99% 48,095 33,258 人口がピークに達する。
1954年 266,825 2,850,189 9.36% 44,434 32,788
1962年 254,974 2,790,091 9.14% 42,460 32,097
1968年 236,776 2,590,771 9.14% 39,430 29,804
1975年 208,970 2,299,830 9.09% 34,799 26,457
1982年 186,866 2,176,243 8.59% 31,118 25,035
1990年 187,657 2,152,423 8.72% 31,250 24,761
1999年 184,586 2,125,246 8.69% 30,739 24,449
2005年 188,500 2,166,200 8.70% 31,391 24,920 人口は推計。

歴史 編集

政治・行政・司法 編集

主な官公庁・公共機関 編集

 
第18区役所

生活 編集

墓地等 編集

教育 編集

大学等 編集

文化施設 編集

 
新装なった「ゴーモン=パラス (Gaumont-Palace)」, 1931年。経営者はレオン・ゴーモンだった。欧州随一の映画館であったが、閉鎖直後の1973年に取り壊された。ムーラン・ルージュがあるブランシュ広場とクリシー広場とに挟まれた、クリシー大通り (ブールヴァール) との交差点界隈, コランクール通り (fr) 1番地にあった。隣接北側にはモンマルトル墓地。現在はホテル・メルキュール・パリ・モンマルトル (Hotel Mercure Paris Montmartre Sacre Coeur)。

美術館・博物館 編集

映画館・劇場 編集

  • アトリエ座Théâtre de l'Atelier
  • アベス劇場Théâtre des Abbesses
  • ドゥザーヌ劇場Théâtre des Deux Ânes
  • ル・ディヴァン・デュ・モンドLe Divan du Monde
    • ピガール広場界隈マルティル通り (殉教者通り, Rue des Martyrs) 75番地にある、カフェ・コンセールないしキャバレーを改装したコンサートスペースないし劇場。1873年、カフェ・コンセールになり、ジャポニスムの影響から「ディヴァン・ジャポネ (Divan Japonais)」と改称し、その後、パントマイム劇場、1901年からはポルノ映画館・・などと変遷し、1994年から現在の形態及び名称になった[5]
  • ラ・シガールLa Cigale
    • 1887年、カフェ・コンセールとして出発した多目的ホールないし劇場。ピガール広場東側界隈、ロシュシュアール大通り沿いにある。

宗教施設 編集

 
サクレ・クール寺院
 
区内東側界隈ラ・シャペル通り (fr) 16-18番地にあるサン=ドニ・ド・ラ・シャペル教会とサント=ジャンヌ=ダルク聖堂

教会・寺院 編集

観光・憩い 編集

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建築 編集

公園・緑地等 編集

名所・娯楽 編集

旧跡・記念碑等 編集

交通 編集

鉄道 編集

高速道路・有料道路 編集

道路 編集

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広場・交差点 編集

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パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。18区の広場や交差点には、次のようなものがある。

著名な出身者 編集

政治 編集

文化 編集

芸能 編集

スポーツ 編集

著名な居住者 編集

 
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 (ルノワール作, 1876年)
 
ル・ムーラン・ド・ラ・ギャレット (ゴッホ作, 1886年秋)

政治 編集

文化 編集

ルピック通り界隈居住者

芸能 編集

その他 編集

ゆかりの人物 編集

王侯貴族 編集

政治 編集

18区を舞台にした作品 編集

絵画 編集

映画 編集

脚注 編集

  1. ^ フランス語の 「18e 」 = 「dix-huitième 」 は、英語の「eighteenth 」 に相当する序数。「第18の」 「18番目の」を意味する。したがって、原語の「18e arrondissement 」を直訳すると「第18区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ Château Rouge: a “Little Africa” in Paris? by Marie Chabrol & translated by Oliver Waine, on 22 May 2013. Metro Politics .eu
  4. ^ セーヌ川右岸の地域にあたる。
  5. ^ 「パリの劇場-ル・ディバン・ドュ・モンド」フランス観光開発機構
  6. ^ a b 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.149.
  7. ^ “Le Bateau Lavoir - Histoires de Montmartre Montmartre-Guide.com” (フランス語). Montmartre-Guide.com. http://www.montmartre-guide.com/histoires_montmartre/bateau-lavoir/ 2018年8月31日閲覧。 
  8. ^ Marguerite Sordes, épouse Charles Sordes, 39 rue Dulong, expose en 1903 des broderies au Salon de la SNBA, in: « Fiche exposant SNBA 1903 », base salons du musée d'Orsay.

参考文献 編集

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目 編集

外部リンク 編集