マーチン・バルガス・バウティスタMartin Vargas Bautista , 1978年2月22日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手投手)。

マーチン・バルガス
Martin Vargas
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サンペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1978-02-22) 1978年2月22日(46歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
198 lb =約89.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 アマチュアFA
初出場 NPB / 2002年7月24日
KBO / 2005年4月3日
CPBL / 2006年8月13日
最終出場 NPB / 2004年6月24日
KBO / 2005年9月24日
CPBL / 2006年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

大リーグ傘下時代 編集

1995年クリーブランド・インディアンスに入団[1]2002年のシーズン途中まで、傘下のマイナーチームでプレーしていた。大リーグでの登板経験はなかった[1]

中日時代 編集

2002年6月28日、中日ドラゴンズへの入団が発表された[1]。同年シーズン終了までの契約で、年俸は契約金込みで21万ドル[1]だった。2日後の6月30日に来日[2]。7月6日の二軍戦に先発登板し、4回2失点だった[3]。7月24日の広島戦(ナゴヤドーム)で初登板・初先発[4]。7回1/3を1安打無失点と好投し、来日初勝利を挙げた[4]。その後も先発ローテーションを守っていたが、9月6日に次男の病気のため母国に帰国[5][6]し、そのままシーズンを終えた。最終的に8試合に登板し、2勝4敗、防御率3.33の成績だった。2勝はいずれも広島戦で挙げたものだった[7]

2003年は2月4日に来日[8]。オフに母国のウインターリーグで1試合しか登板しなかったことにより、懲罰的にキャンプは2軍スタートとなった[8]。同年は、先発登板で2試合連続KOされた[9][10]マーク・バルデスに代わり4月28日に一軍昇格[11]。5月4日の横浜戦(ナゴヤドーム)でシーズン初先発し、4回1失点の内容だった[12]

2004年、4月9日の阪神戦(甲子園球場)でマイク・キンケードの頭部に死球を投じたため危険球退場処分となった[13]。5月12日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で2年ぶりに白星を挙げた[14]。オフに戦力外通告を受け、退団[15]

中日退団後 編集

2004年12月11日、韓国三星ライオンズと契約し、2005年は二桁勝利をあげチームのアジアシリーズ出場に貢献した。アジアシリーズでも千葉ロッテマリーンズを相手に登板した(敗戦投手)。しかし、シリーズ終了後に解雇された。

2006年は7月30日、台湾中華職業棒球大聯盟La Newベアーズに入団。登録名は、巴克斯。初登板では勝ち投手になったが、2度目の登板で四球を連発してしまい、結局8月22日に解雇されてしまった。その後は、メキシカンリーグでプレーした。

2013年には、野球スクールを経営して野球の指導を行っていることが報道された[16]

プレースタイル・人物 編集

微妙に変化する速球から黒蛇(ブラックスネーク)のニックネームを付けられていた[2]

武器は150kmを超え微妙に変化するムービングファストボールであるが、コントロールの悪さと決め球の無さから狙い撃ちにされて自滅するパターンが多かった。

台湾と韓国では生年月日が1977年2月22日となっており、日本での生年月日と比べると1年半ほど年齢が上となっている。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2002 中日 8 8 0 0 0 2 4 0 0 .333 206 48.2 41 5 21 1 2 35 1 0 23 18 3.33 1.27
2003 6 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 103 21.2 34 3 9 1 0 15 2 0 17 16 6.64 1.98
2004 6 6 0 0 0 2 3 0 0 .400 130 31.0 29 1 10 1 4 28 1 0 14 14 4.06 1.26
2005 三星 26 26 0 0 0 10 8 0 0 .556 561 128.0 120 12 63 0 7 66 10 1 78 72 5.06 1.43
2006 La New 3 2 0 0 0 1 0 0 0 1.000 37 7.1 8 0 8 0 2 3 1 0 6 6 7.36 2.18
NPB:3年 20 18 0 0 0 4 9 0 0 .308 439 101.1 104 9 40 3 6 78 4 0 54 48 4.26 1.42
KBO:1年 26 26 0 0 0 10 8 0 0 .556 561 128.0 120 12 63 0 7 66 10 1 78 72 5.06 1.43
CPBL:1年 3 2 0 0 0 1 0 0 0 1.000 37 7.1 8 0 8 0 2 3 1 0 6 6 7.36 2.18

記録 編集

NPB

背番号 編集

  • 39 (2002年 - 2004年)
  • 29 (2005年)
  • 25 (2006年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d 最速149キロ 右腕中日入り バルガス 逆転Vへ秘密兵器だ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年6月29日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  2. ^ a b “黒蛇”バルガス来日 スネークボールで勝負!!”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年7月1日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  3. ^ バルガス 4イニング 5Kデビュー 変化球に切れMAX146キロ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年7月7日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  4. ^ a b c バルガス 救世主だ 1安打無失点”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年7月25日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  5. ^ バルガス きょう傷心帰国 生まれたばかりの二男が病気”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年9月6日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  6. ^ バルガス帰国「また戻る」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年9月7日). 2004年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  7. ^ バルガス粘った7回2失点 制球難 荒れ球生きる”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2002年8月31日). 2004年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  8. ^ a b V必ず 山田竜2年目の春 バルガス汚名返上へ休日返上”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年2月6日). 2004年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  9. ^ バルデス 背信KO”. 中日スポーツ (2003年4月23日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
  10. ^ 背信バルデス降格濃厚”. 中日スポーツ (2003年4月28日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
  11. ^ 竜 先発再編 150キロ バルガス昇格”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年4月28日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  12. ^ バルガス ローテ入り合格 MAX148キロ 4回1失点”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2003年5月5日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  13. ^ バルガス、痛恨1球 キンケードに頭部死球…危険球で即退場”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2004年4月10日). 2004年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  14. ^ バルガス2年ぶり白星 中日9-6ヤクルト 気合のヘアスタイル振り乱し力投”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2004年5月13日). 2004年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月22日閲覧。
  15. ^ 「バルガスに戦力外通告」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月28日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  16. ^ 中日リベラいきなり145キロめっちゃ速い - プロ野球ニュース”. nikkansports.com (2013年1月28日). 2021年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月28日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集