一畑電気鉄道80系電車(いちばたでんきてつどう80けいでんしゃ)は、かつて一畑電気鉄道(現・一畑電車)に在籍した通勤形電車1981年昭和56年)[1]から翌1982年(昭和57年)[1]にかけて、西武鉄道より451系電車を譲り受け、導入したものである[2]

一畑電気鉄道80系電車
90系電車・デハ60形電車(2代)
デハ1形6と並ぶ80系クハ181
川跡・1997年1月)
基本情報
製造所 西武所沢車両工場
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1,067 mm (狭軌
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最高運転速度 85 km/h
車両定員 80系・90系:160人(座席58人)
デハ60形:148人(座席52人)
自重 デハ80形:38.0 t
デハ90形:38.3 t
デハ60形:40.6 t
クハ180形:28.0 t
クハ190形:29.5 t
全長 20,000 mm
全幅 2,930 mm
全高 デハ60形・80形・90形:4,169 mm
クハ180形:3,895 mm
クハ190形:3,925 mm
車体 普通鋼
台車 釣り合い梁式台車 TR14A / TR11A
主電動機 直流直巻整流子電動機 MT15E
主電動機出力 100 kW(一時間定格)
搭載数 4基 / 両
端子電圧 675 V
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 2.52 (63:25)
制御装置 電空カム軸式 CS5
抵抗制御直並列組合せ制御
および弱め界磁制御
制動装置 AMAE / ACAE電磁自動空気ブレーキ
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本項では、80系同様に西武鉄道からの譲渡車両である90系電車(元551系電車[1]、および90系より別形式へ区分されたデハ60形電車(2代)[1]についても併せて記述する。

概要 編集

1982年(昭和57年)9月に開催された第37回国民体育大会(通称「くにびき国体」)に際して[3]、観客輸送を担うこととなった北松江線の車両近代化が計画された[3]。折りしも当時の西武鉄道(以下「西武」)では、冷房装置を搭載したカルダン駆動車の増備を受けて451系電車の廃車が進行していたが[4]、同系列は西武における廃車当時の経年が20 - 24年程度と比較的状態が良好であり、一畑電気鉄道では同系列を譲り受けて老朽化した従来車の代替に充当することとした[3]

当時の西武451系は6両固定編成と2両固定編成の2種類が存在したが[5]、このうち制御電動車クモハ451形と制御車クハ1471形で組成される2両固定編成3本(クモハ456-クハ1485・クモハ452-クハ1487・クモハ454-クハ1489)[5]を1981年(昭和56年)12月に1本[6]、翌1982年(昭和57年)9月に2本導入し[6]、制御電動車はデハ80形81 - 83、制御車はクハ180形181 - 183とそれぞれ改称・改番され[2]車両番号(以下「車番」)末尾同番号の制御電動車・制御車の組み合わせによる2両固定編成を組成した[2][7]

1985年(昭和60年)3月[6]には、同じく西武より551系クモハ551形560およびクハ1651形1661を譲り受け[8]、さらに翌1986年(昭和61年)3月[6]にはクモハ551形552・554を譲り受けて老朽化した従来車を代替した[2]。前者はデハ90形91およびクハ190形191として80系同様に2両固定編成を組成したが[8][注釈 1]、後者については日中閑散時の運用および増結運用を目的として[9]、導入に際して西武所沢車両工場において両運転台化改造が施工され[9]、デハ90形92・93として導入されたのち[7]、1986年度中にデハ60形(2代)61・62と別形式に区分された[7]

なお、導入に際しては各編成(デハ60形は各車両)ごとに北松江線沿線にちなんだ固有の編成愛称が付与され[2]、前面には愛称表示板が設置された[2]

デハ81-クハ181 「くにびき」[2]
デハ82-クハ182 「いなさ」[2]
デハ83-クハ183 「まがたま」[2]
デハ91-クハ191 「やえがき」[2]
デハ61 「うみねこ」[2]
デハ62 「はくちょう」[2]

いずれも北松江線の主力車両として運用されたのち[10]、後年の後継車両の導入に伴い、80系・90系は1996年平成8年)に[11]、デハ60形は2006年(平成18年)にそれぞれ形式消滅した[12]

車体 編集

 
クハ180形183
(平田市・1989年3月)
 
デハ60形(2代)61
(川跡・2002年10月)

各形式とも全長20,000mmの全金属製車体を有するが[13]、種車の相違によって前面形状が異なり[14]、80系が切妻形状の3枚窓構造であるのに対し[14]、90系およびデハ60形はいわゆる「湘南型」と称される折妻傾斜型形状の2枚窓構造である[14]。客用扉は一畑電気鉄道初の両開扉(有効幅1,300mm)を採用するが[15]、デハ90形91およびデハ60形61・62がアルミハニカム構造・扉窓金属枠固定の客用扉を採用するのに対し[2]、80系およびクハ190形191は鋼製・扉窓Hゴム固定の客用扉を採用し[2]、こちらも種車の相違によって仕様が異なる[9][注釈 2]。デハ60形61・62(元西武クモハ554・552)は、前述の通り導入に際して両運転台化改造が実施されているが[9][注釈 3]、改造は旧来の連結面を一部切断し[16]、西武在籍当時における編成相手であった西武クモハ553・551の運転台部分の構体を接合する形で行われた[16][注釈 4]。側面窓配置は片運転台構造の80系および90系がd1(1)D(1)2 2(1)D(1)2 2(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数、カッコ付数値は戸袋窓を示す)[2]、両運転台構造のデハ60形がd1(1)D(1)2 2(1)D(1)2 2(1)D(1)1dである[2]

車内はロングシート仕様[15]、車内照明に蛍光灯を採用[17]、車内送風機として扇風機を各車7基ずつ搭載する[17]

これらは西武在籍当時の仕様そのままであるが、一畑電気鉄道への導入に際しては、車体塗装を黄色地に青帯を回した一畑電気鉄道の標準塗装に変更[9]、各先頭車の前面に愛称表示板受けを新設したほか[2]、西武在籍当時はガーランド型ベンチレーターを搭載したデハ82・83(元西武クモハ452・454)についてはベンチレーターをグローブ型に交換した[2][7]。また各車とも前面窓内側に設置された行先表示機をそのまま活用し、表示幕のみを一畑電気鉄道仕様の内容に変更した[2]

主要機器 編集

主要機器については、譲渡に伴って不要となった西武形ATSおよび列車無線の撤去が実施されたことを除くと概ね西武在籍当時と仕様の変化はなく[7]、その多くが終戦直後から1960年代前半にかけて西武鉄道において多用された鉄道省制式の旧弊な機器である[13]

制御装置 編集

電空カム軸式の自動加速制御装置CS5、および弱め界磁接触器CS9を併用する[13][18]。直列5段・並列4段の直並列組み合わせ抵抗制御に加え、前述CS9を用いた弱め界磁制御(1段)を行う[18]

主電動機 編集

直流直巻整流子電動機MT15E(端子電圧675 V時、定格出力100 kW, 定格回転数653 rpm)を電動車1両当たり4基搭載する[13]。駆動方式は吊り掛け式[13]、歯車比は2.52 (63:25) である[13]

台車 編集

電動車デハ80形・デハ90形・デハ60形が釣り合い梁式台車TR14A[13]、制御車クハ180形・クハ190形が同TR11Aをそれぞれ装着する[13]。西武在籍当時は住友金属工業製のペデスタル式空気ばね台車FS40を装着したデハ61・62についても[9]、譲渡に際してTR14A台車へ交換され[9]、仕様が統一された。

制動装置 編集

A弁を使用したAMAE / ACAE電磁自動空気ブレーキである[13]

補助機器類 編集

MH77-DM43電動発電機(定格出力3kW)およびMH16B-AK3電動空気圧縮機(通称「AK3」、定格吐出量990 L/min)といった補助機器については、80系および90系では西武在籍当時と同様いずれも制御車へ搭載したが[13]、両運転台構造のデハ60形についてはそれらの機器を自車へ新たに搭載し、重量もデハ80形・デハ90形が38 t代であるのに対して40.6 tと増加した[13]

連結器は西武在籍当時と同様に密着連結器仕様で[2]、各車とも電気連結器を存置したまま譲渡され[2]、増解結運用時の作業性向上に寄与した。

導入後の変遷 編集

導入後は前述の編成愛称表示板を全車とも撤去した[9]以外、主立った改造を実施されることなく、80系・90系は20m級車体という収容力の大きさを生かし北松江線の主力車両として[7]、デハ60形は日中閑散時の単行運用もしくは前掲2系列の増結用車両に充当されるなど[7]、それぞれの特性を生かして運用された。

その後、1993年(平成5年)11月に発表された列車増発・駅施設の整備や老朽車両の置き換えを主軸とする一畑電気鉄道の「経営改善5ヵ年計画」を受け[19]、比較的近代的な全金属車体を備えるものの、非冷房仕様かつ旧態依然とした吊り掛け駆動車であった80系・90系・デハ60形の各形式についても代替が決定した[19]。翌1994年(平成6年)以降、車両近代化目的で導入された2100系電車(元京王5000系電車 (初代))および3000系電車(元南海21000系電車)の増備に伴って、80系デハ82-クハ182編成およびデハ83-クハ183編成が1995年(平成7年)12月31日付[20]で、80系デハ81-クハ181編成および90系デハ91-クハ191編成が1996年(平成8年)12月31日付[11]でそれぞれ廃車となり、80系・90系は全廃となった[11]

デハ60形61・62のみは予備車として残存したものの[16]、最終的に2006年(平成18年)10月31日付で除籍・解体され[12]、デハ60形の全廃をもって西武鉄道より譲り受けた20m級車体の各形式は全て形式消滅した[11][12]。このため、一畑からは一旦は20m級車両が消滅していたが、2016年12月に投入された86年振りの自社発注車となった7000系で再度20m級車両が投入され復活した。

車歴 編集

  形式 車番 竣功年月 西武最終車番 廃車 備考
80系 デハ80形 デハ81 1981年12月 クモハ456 1996年12月
デハ82 1982年9月 クモハ452 1995年12月
デハ83 1982年9月 クモハ454 1995年12月
クハ180形 クハ181 1981年12月 クハ1485 1996年12月
クハ182 1982年9月 クハ1487 1995年12月
クハ183 1982年9月 クハ1489 1995年12月
90系 デハ90形 デハ91 1985年3月 クモハ560 1996年12月
クハ190形 クハ191 1985年3月 クハ1661 1996年12月
デハ60形 (II) デハ60形 デハ61 1986年3月 クモハ554 2006年10月 両運転台車・導入当初の車番はデハ92
デハ62 1986年3月 クモハ552 2006年10月 両運転台車・導入当初の車番はデハ93

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 西武在籍当時のクモハ560はクモハ559-サハ1559-サハ1560と同一形式で4両編成を組成し、またクハ1661は451系クモハ462と2両編成を組成しており、一畑電気鉄道への譲渡に際して新たに同2両で編成を組成したものである。
  2. ^ その他、西武551系を種車とするデハ91と西武クハ1651形(旧601系クハ1601形)を種車とするクハ191ではワイパーの位置(デハ91は前面窓上に、クハ191は窓下にそれぞれ設置)や側面窓サッシの仕様(デハ91は車体同色、クハ191は無塗装仕様)が異なる。また80系についても西武451系後期車を種車とするデハ81およびクハ180形全車は側面窓サッシが無塗装仕様であったのに対し、同前期車を種車とするデハ82・83は車体同色に塗装されているなど、細部に相違点を有した。
  3. ^ 改造に際してはワイパー位置が前面窓下に移設され、同じく西武クモハ551形を種車とするデハ91とは仕様が異なる。
  4. ^ 西武所沢車両工場において、既存の構体を切断し他の構体と接合する改造はデハ61・62において初めて行われたものであった。同2両の改造によって蓄積された経験・技術は後の西武鉄道からの車両譲渡に際して実施された編成短縮・中間車の先頭車化改造に生かされることとなった。

出典 編集

  1. ^ a b c d 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) p.233
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本のローカル私鉄』 (1990) p.189
  3. ^ a b c 『BATADEN 一畑電車百年ものがたり』 (2010) p.32
  4. ^ 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.159 - 160
  5. ^ a b 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) pp.222 - 223
  6. ^ a b c d 「神話の国にベテラン電車を訪ねて - 一畑電気鉄道」 (1992) p.70
  7. ^ a b c d e f g 「神話の国にベテラン電車を訪ねて - 一畑電気鉄道」 (1992) p.69
  8. ^ a b 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) pp.223 - 224
  9. ^ a b c d e f g h 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 (1992) pp.235 - 236
  10. ^ 「神話の国にベテラン電車を訪ねて - 一畑電気鉄道」 (1992) p.66
  11. ^ a b c d 「新車年鑑 1997年版」 (1997) p.186
  12. ^ a b c 「鉄道車両年鑑 2007年版」 (2007) p.234
  13. ^ a b c d e f g h i j k 『日本のローカル私鉄』 (1990) pp.218 - 219
  14. ^ a b c 「神話の国にベテラン電車を訪ねて - 一畑電気鉄道」 (1992) pp.69,71
  15. ^ a b 「ローカル私鉄独り歩き9 Lake Side Story -宍道湖の一畑電鉄-」 (1985) p.45
  16. ^ a b c 「西武所沢車両工場出身の電車たち (譲渡車両の現況)」 (2002) p.218
  17. ^ a b 『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 (1982) pp.91 - 92
  18. ^ a b 『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 (2002) p.142
  19. ^ a b 「再生めざす一畑電車」 (1994) p.72
  20. ^ 「新車年鑑 1996年版」 (1996) p.105

参考文献 編集

  • 吉川文夫廣田尚敬 『ヤマケイ私鉄ハンドブック6 西武』 1982年9月 ISBN 4-635-06118-3
  • 寺田裕一 『日本のローカル私鉄』 企画室ネコ 1990年7月 ISBN 4-87366-064-5
  • 町田浩一 『復刻版 私鉄の車両6 西武鉄道』 ネコ・パブリッシング 2002年7月 ISBN 4-87366-289-3
  • 島根県立古代出雲歴史博物館編集 『BATADEN 一畑電車百年ものがたり』 一畑電気鉄道 2010年 ISBN 978-4-9901229-1-1
  • レイルマガジン』 企画社ネコ
    • 寺田裕一 「ローカル私鉄独り歩き9 Lake Side Story -宍道湖の一畑電鉄-」 1985年2月(通巻13)号 pp.40 - 47
  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 鈴木大地 「神話の国にベテラン電車を訪ねて - 一畑電気鉄道」 1992年2月(通巻555)号 pp.66 - 71
    • 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 1992年5月(通巻560)号 pp.150 - 160
    • 小松丘・大山俊行・高橋健一 「他社へ譲渡された西武鉄道の車両」 1992年5月(通巻560)号 pp.217 - 236
    • 岡崎利生 「西武所沢車両工場出身の電車たち (譲渡車両の現況)」 2002年4月(通巻716)号 pp.214 - 223
    • 「新車年鑑 1996年版」 1996年10月(通巻628)号
    • 「新車年鑑 1997年版」 1997年10月(通巻644)号
    • 「鉄道車両年鑑 2007年版」 2007年10月(通巻795)号
  • 鉄道ジャーナル』 鉄道ジャーナル社
    • 種村直樹 「再生めざす一畑電車」 1994年5月(通巻331)号 pp.63 - 72

関連項目 編集

他社における西武451系・551系譲渡車