中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者工学博士日本板硝子社長を務めた。

経歴 編集

大阪府大阪市出身[1]1947年京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社[1]1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任[1]1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任[1]

1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

2001年3月18日心不全のために死去[2]。75歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1999, な62頁.
  2. ^ 2001年 3月24日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第40版 下』人事興信所、1999年。 
先代
菅沼俊彦
日本板硝子社長
1988年 - 1992年
次代
松村實