伊海田弘

日本の俳優・声優

伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本俳優である[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]1967年昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある[3][4][5][6][7][8][10]東宝資料室では伊海田 宏と表記されている[9]テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか[13]テレビドラマスーパーロボット レッドバロン』(1973 - 1974年)の「デビラー総統」役、『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる[11][14]

いかいだ ひろし
伊海田 弘
本名 伊海田 弘順[1]
別名義 二階堂 浩 (にかいどう ひろし)
二階堂 博
生年月日 (1931-01-08) 1931年1月8日
没年月日 (1997-10-24) 1997年10月24日(66歳没)
出生地 日本の旗 日本 新潟県北蒲原郡
(現・阿賀野市
身長 172 cm[1]
血液型 A型[2]
職業 俳優声優
ジャンル 新劇劇場用映画現代劇成人映画)、特撮テレビアニメ
活動期間 1950年前後 - 1997年
配偶者
著名な家族 伊海田彩
所属劇団 劇団七曜会
河の会
事務所 SOSモデルエージェンシー
主な作品
映画
㊙湯の街 夜のひとで』(1970年)
テレビドラマ
スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)
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人物・来歴 編集

新劇から映画へ 編集

1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)に生まれる[14]。実家は酒屋と電気業を兼業していた[14]。小学6年生の時に、新発田市の法正寺へ養子入りする[14]

第二次世界大戦後、新制大学へ移行した1949年(昭和24年)前後の時期に東京都世田谷区駒澤大学仏教学部に入学する。1953年(昭和28年)前後の時期に同学を卒業[14]劇団七曜会(1950年設立)で俳優として活動した。当時の劇団の仲間には、依田英助(1927年 - )、家弓家正(1933年 - 2014年)、高城淳一(1925年 - 2011年)、西乃砂恵(1938年 - 1976年?)らがいた[15]。1956年(昭和31年)10月3日に公開された『のんき夫婦』(監督杉江敏男)に端役で出演している記録が残る[9]。同作は、当時、目黒駅に近い品川区上大崎に撮影所を持つ東京映画が製作、東宝が配給した作品であり、同社が世田谷区船橋に移転する1962年(昭和37年)8月までの間、同社の製作する喜劇作品に数多く端役で出演した[9][4]。その間、1959年(昭和34年)に放送が始まって話題になった『スリラー劇場 夜のプリズム』にも出演、伊海田が出演した第5回『羽田発七時五十分』は、同年2月18日に放送された[11]。1961年(昭和31年)2月23日 - 同28日、イイノホールでの夏堀正元の戯曲『視線クラブ』の劇団七曜会による公演(演出高城淳一・西乃砂恵)に出演、ダブルスパイ「シマ」役を演じた[15][16]

その後は、宣弘社が製作した『隠密剣士』(1963年)や、NACが製作した『忍者部隊月光』(1964年)にゲスト出演し、その傍ら、1964年(昭和39年)には二階堂 博の名で、松竹大船撮影所が製作した『馬鹿まるだし』(監督山田洋次)、『乾いた花』(監督篠田正浩)、『男の影』(監督大槻義一)といった作品に端役で出演した[3][4][5][6]。1965年(昭和40年)10月に公開された『濡れた女』(監督松原次郎)に「伊海田弘」の名で出演、以降、独立系成人映画に数多く出演する[3][4][5][6][7][8]。なかでも、同作を製作した山辺信雄は、『隠密剣士』で音響効果を担当していた人物であり、翌1966年(昭和41年)1月に公開された『裸の復讐』(監督高木丈夫・松原次郎)以降、山辺が主宰するヤマベプロダクション作品に多く出演した[3][4][5][6][7][8]。1967年(昭和42年)2月に公開された『残忍』(監督小森白)は、小森白が代表を務める東京興映の作品であり、同作以降、二階堂 浩の名も使い分けるようになった[3][4][5][6][7][8][10]

テレビ界への転身 編集

1971年(昭和46年)11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、伊海田(二階堂)は、これに出演することはなかった[3][4][5][6][7][8][10]。1972年(昭和42年)3月に公開された『脱がせて脱がせて大勝負』(監督山本晋也)に「二階堂浩」名義で出演して以降、成人映画の世界を去る[3][4][5][6][7][8][10]。同年2月13日に放映された『シルバー仮面ジャイアント』第12話『恐怖のサソリンガ』や第19話『逆転 シルバー旋風斬り』、同年10月8日に放映を開始した『アイアンキング』にゲスト出演したり、後者では次回予告のナレーションをレギュラーで行うようになり、再び宣弘社のテレビドラマに関わるようになっていく[11]。同年9月に発行された『週刊平凡』第14巻第37号には、その転身ぶりについて「伊海田弘氏のみごとな変身生活」と記事を書かれた[17]。1974年(昭和49年)10月7日に放映を開始した『スーパーロボット マッハバロン』では、敵の首領である「ゲオルク・ララーシュタイン」役でのレギュラー出演を勝ち取る[11]

声優事務所である河の会に一時期所属していた事があり、俳優活動と並行して声優でも活躍する。またオフィス・ボロにも所属していた[2]声種ハイバリトン[18]。趣味・特技は読経新潟弁

1997年(平成9年)10月24日、死去した。満66歳没。

2013年(平成25年)11月9日に行われた「こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ バロンシリーズスタッフ・キャスト座談会」での下塚誠の話によると、当時旅行代理店経営していた伊海田本人から「下塚君、もし旅行へ行くんだったらうちに注文くれる?」と声を掛けられた事がある。また同座談会でマッハバロンのメイン監督を務めた鈴木清の話では、ララーシュタインの瞳を金色にするためカラーコンタクトを入れると目が見えない状態だった。また日本現代企画社長の小林哲也と伊海田とは仲が良かったため、撮影には凄く気を遣っていたそうで「万が一伊海田さんの目に障害が出たらお前、どうするんだ!」と脅かされながら医者の立ち会いの元、5分間限定[19]という制約で撮影したと語っている。伊海田も最初はカラーコンタクトの使用を怖がっていたという。またカラーコンタクトとララーシュタインの撮影だけは拘りを持っており、結構予算を費やしたと語っている。

再評価 編集

伊海田が「二階堂浩」名義で出演し「トリ金」役を演じた『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)は、2004年(平成16年)6月25日にアップリンクがDVDビデオグラム化した[7]。2009年(平成16年)には、同年4月17日にドイツフランクフルトで行われたニッポンコネクションドイツ語版を皮切りに、カナダの映画祭やギリシャのテッサロニキ国際映画祭等に出品され、上映された[3][13]

出演作品  編集

特筆以外すべての名義は「伊海田弘」である[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[4][20]

映画 編集

1950年代 編集

1960年代 編集

1970年代 編集

1980年代 編集

テレビドラマ 編集

特撮 編集

テレビアニメ 編集

  • 恐竜探険隊ボーンフリー』 : 製作NET / 円谷プロダクション
    • 第4話「砂漠の暴れん坊ティラノサウルス」 - 第17話「キングバトラーの最期!」 : 監督高野宏一ほか、脚本阿部桂一ほか、1976年10月22日 - 1977年1月28日放映 - グレン役(第4話 - 第17話)
    • 第23話「人喰い恐竜を倒せ!」 : 監督高野宏一、脚本阿部桂一、1977年3月11日放映 - オリバー役
    • 第24話「謎の恐竜エゾサウルス」 : 監督高野宏一、脚本阿部桂一、1977年3月18日放映 - 小田役
  • ザ☆ウルトラマン』 : 製作円谷プロダクション
    • 第2話「光るペンダントの秘密」 : 監督古川順康、脚本吉川惣司、1979年4月11日放映 - 発電所所長役
    • 第42話「ウルトラマン生けどり作戦」 : 監督八木岡正美、脚本吉川惣司、1980年1月30日放映 - タンカー船長役

吹き替え 編集

人形劇 編集

  • サンダーバード』第25話「情報員MI. 5」 : 1966年10月16日放映 - 男A・リッター役

脚注 編集

  1. ^ a b 『日本タレント名鑑(1985年版)』VIPタイムズ社、1984年、18頁。 
  2. ^ a b 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、15頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j Hiroshi IkaidaHiroshi Nikaidô, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2015年2月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 伊海田弘二階堂博二階堂浩東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年2月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 伊海田弘二階堂博二階堂浩文化庁、2015年2月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 伊海田弘二階堂博二階堂浩KINENOTE, 2015年2月26日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 伊海田弘二階堂浩二階堂渚(表記誤字)allcinema, 2015年2月26日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 伊海田弘二階堂浩日本映画データベース、2015年2月26日閲覧。
  9. ^ a b c d e 伊海田宏東宝、2015年2月26日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 二階堂浩日活、2015年2月26日閲覧。
  11. ^ a b c d e f 伊海田弘テレビドラマデータベース、2015年2月26日閲覧。
  12. ^ a b 大蔵映画黎明期プログラムリストPINK HOLIC, トライワークス、2015年2月26日閲覧。
  13. ^ a b Secret Hot Spring Resort: Starfish at Night - IMDb(英語)、2015年2月26日閲覧。
  14. ^ a b c d e DVD『アイアンキングフォトニクル』 2015年5月22日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-131 p41
  15. ^ a b 大笹[2009], p.489.
  16. ^ 劇団七曜会早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2015年2月26日閲覧。
  17. ^ 週刊平凡[1972], p.62.
  18. ^ 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、69頁。 
  19. ^ 眼球に傷を付けるので「5分以上はコンタクトを入れてはなりません」と、医者に注意されていた。
  20. ^ a b 平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表独立行政法人国立美術館、2015年2月26日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

画像外部リンク
  濡れた女
1965年10月公開
東京企画
  甘い唾液
1965年11月公開
東京三映社
  女のせい談
1967年2月公開
ヤマベプロダクション関西新東宝興業
  無軌道女性
1967年5月1日公開
(ヤマベプロダクション・大蔵映画
  赤い肉
1967年8月20日公開
(ヤマベプロダクション・大蔵映画)
  0号夫人の告白より 好色秘話
1968年公開
光映画・大蔵映画)
  婦女惨殺!!
1968年公開
ワールド映画
  怪談バラバラ幽霊
1968年5月28日公開
(大蔵映画)
  女体の泥沼
1968年7月公開
(大蔵映画)
  秘帳 女浮世草紙
1968年10月19日公開
青山プロダクション日活
  好色坊主 四十八手斬り
1969年1月公開
上松プロダクション日映
  情事のあと始末
1969年5月公開
六邦映画
  白い乳房の戦慄
1970年4月公開
ミリオンフィルム
  ㊙湯の街 夜のひとで
1970年8月公開
わたなべぷろだくしょん関東映配