呂比須ワグナー
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | ロペ | ||||||
| カタカナ | ロペス ワグナー | ||||||
| ラテン文字 | LOPES Wagner | ||||||
| 帰化前 | Wagner Augusto Lopes | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年1月29日(43歳) | ||||||
| 出身地 |
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| 身長 | 182cm | ||||||
| 体重 | 75kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 監督歴 | |||||||
| 2010 2010 2011 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月26日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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呂比須 ワグナー(ロペス ワグナー、Wagner Lopes, 1969年1月29日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ブラジル・サンパウロ州出身で、ブラジル名はワギネル・アウグスト・ロペス(Wagner Augusto Lopes)。1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となった。
来歴
現役時代
サンパウロ州フランカ市で8人兄弟の末っ子として生まれる[1]。11歳の頃から学業の傍ら兄が経営する靴工場で働き、週末には地元のサッカークラブ、インテルナシオナルFCで練習する[2]。
15歳でサンパウロFCの下部組織に加入[3]、1986年にサンパウロFCとプロ契約を結ぶも出場機会に恵まれずにいたロペスは、元ブラジル代表のオスカーに誘われ1987年に日本に渡り、日産自動車サッカー部に加入[3]し、3年間所属後、日立に移籍する。
移籍後の日立・柏レイソルでは、1992年にジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の得点王となり、ベストイレブンに選ばれる。翌1993年もベストイレブンと得点ランク2位となる。1993年に世界的スーパースターのカレカが加入、元ブラジル代表のネルシーニョとともに外国人枠の2つを占め、残りの1枠を他の外国人選手と争う。元ブラジル代表のミューレルが加入することが決まり、1994年シーズン限りで柏を解雇される。
1995年、本田技研工業に移籍する。1996年にはクラブは初のジャパンフットボールリーグ優勝を果たし、ロペス自身も得点王となる。
1997年、Jリーグのベルマーレ平塚へ移籍。同年9月に日本国籍を取得すると、名前をそれまでの登録名であったワグネル・ロペスから呂比須ワグナーに改め、直後に日本代表に選出される。平塚では在籍時の2年間とも、チーム得点王になる。1999年に名古屋グランパスエイトに移籍、その後FC東京、アビスパ福岡に所属し、2002年に現役引退。2002年10月19日、博多の森球技場でのヴァンフォーレ甲府戦のゴールで、日本リーグ・JFL・Jリーグの合計得点が釜本邦茂の202ゴールを超えて203ゴールとなった。後日、福岡のローカルTV番組から203ゴール目を決めた記念ボールを贈られた。12月8日に博多の森球技場で行われた天皇杯2回戦(栃木SC戦)が最後の公式戦出場となった。
日本代表
1997年9月12日に帰化すると、その16日後の、ワールドカップフランス大会予選の対韓国戦で日本代表デビューを果たす。なお、日本の法務省は、元の国が国籍離脱を認めていない場合は、二重国籍者を容認する。ブラジルは国籍離脱を認めていない為、日本帰化以降、呂比須は日本とブラジルの二重国籍者となった。
同年10月11日のウズベキスタン戦、後半44分、井原正巳のパスを頭で合わせてゴールし、代表初ゴールとなる。続く10月26日の国立競技場でのUAE戦では前半開始早々に三浦知良から受けたボールをリフティングで相手をかわし、そのままボレーして得点する。続く11月1日のアウェーでの日韓戦でも得点し、3試合連続得点を記録。イランとの第3代表プレーオフ決定戦の直前に母ルジアが病死するが、イラン戦にも途中出場し、日本のワールドカップ初出場への大きな原動力となった。
1998年に行われたワールドカップ本大会では途中出場ながらグループリーグ3試合に出場。対ジャマイカ戦では中山雅史のワールドカップにおける日本人初ゴールをアシストした[1]。
1999年に行われたコパ・アメリカ1999では2得点を挙げた。
指導者時代
引退後、故郷のサンパウロ州に戻り2005年から本格的に指導者としてのキャリアをスタート。パウリスタFCでは名将ヴァグネル・マンシーニ監督の下でヘッドコーチを務める。この時期、日本からやって来た笠井健太(登録名はKENTA)の指導に携わった[4]。同年、パウリスタFCは小クラブながらセリエA所属の強豪クラブを次々破ってコパ・ド・ブラジルに初優勝、翌2006年のリベルタドーレス杯出場権を獲得する。当時のマンシーニと呂比須は共に30代の若い指導者コンビとして注目を集める。この際、中東のクラブから高額のオファーがあったマンシーニ監督に共に中東行きを誘われるも「外国に住むなら日本に帰りたい。ブラジルに戻ってドバイに行ったら意味がない」と申し出を断り、チームに残った[5]。マンシーニはパウリスタFCを離れてアル・ナスルSCと契約する。呂比須は2007年までパウリスタFCでコーチを務めた後、病気(胆石)の手術の為に一旦コーチ業を休む。
2009年に古巣のパウリスタFCからオファーがあり、ヘッドコーチに就任。ブラジル時代の縁で古巣のアビスパ福岡にグラウシオやリンコンなどのブラジル人選手のJリーグ移籍の手助けをしたこともある。2010年2月にブラカリ前監督が更迭されると、監督に昇格。その後、サンパウロ州のポン・ジ・アスーカルECでも監督を務めた[6]。
2011年、再びパウリスタFCから監督として呼ばれ、監督に就任。同年のコパ・パウリスタで大会優勝(連覇)を果たすも、契約を延長せずにシーズン終了後に退団した。クラブ幹部は「海外クラブからオファーがあり引き止められなかった」と話していた[7][8]。
2012年、Jリーグ・ガンバ大阪から監督のオファーを受けるも、日本人監督としてJリーグの監督を務めるのに必要なS級ライセンスを保有しておらず、ブラジル国内でブラジル全国選手権セリエA(1部)及びセリエB(2部)での指導経験がないため、日本サッカー協会から承認が下りず監督就任は白紙になった[9]。その後、新監督に就任したサンパウロ時代のコーチであるジョゼ・カルロス・セホーンの下で、ガンバ大阪のヘッドコーチに就任[10]。しかし、開幕から公式戦5連敗と深刻な成績不振に陥り、同年3月26日、セホーン監督、ウェリントンコーチと共に解任された[11]。
人物・エピソード
- 現役引退後、家族の希望で母国ブラジルへ帰ったが、いつか日本からの監督のオファーがあると信じてブラジルで指導者として成功したいと述べている[12]。
- 2004年、TVの解説の仕事で東北ユースサッカー大会を観戦した際、当時15歳の香川真司(宮城県選抜)のプレーを見て「香川は将来すごい選手になる。今すぐにでもブラジルに連れて帰りたいぐらい」と早くから将来性の高さを見抜いていた[13]。
- 指導法のひとつとして、近年ブラジル人指導者にも浸透してる対戦相手のプレー集をビデオに自ら編集して選手に見せるようにしている[5]。監督としての哲学や指導法は師匠のマンシーニ監督と似ている、とも語っている[14]。
所属クラブ
- 1985年 - 1987年
サンパウロFC
- 1987年 - 1990年
日産自動車
- 1990年 - 1994年
日立製作所/柏レイソル
- 1995年 - 1996年
本田技研
- 1997年 - 1998年
ベルマーレ平塚
- 1999年 - 2000年
名古屋グランパスエイト
- 2001年
FC東京
- 2001年 - 2002年
アビスパ福岡
指導歴
- 2005年 - 2007年
パウリスタFC:コーチ - 2009年
パウリスタFC:コーチ - 2010年
パウリスタFC:監督
- 2010年
ポン・ジ・アスーカルEC:監督
- 2011年
パウリスタFC:監督
- 2012年
ガンバ大阪:ヘッドコーチ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1985 | サンパウロ | セリエA | |||||||||
| 1986 | |||||||||||
| 1987 | |||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1987-88 | 日産 | JSL1部 | 21 | 8 | |||||||
| 1988-89 | 15 | 3 | |||||||||
| 1989-90 | 9 | 13 | 1 | 4 | 0 | ||||||
| 1990-91 | 日立 | 7 | JSL2部 | 23 | 33 | 1 | 0 | ||||
| 1991-92 | JSL1部 | 20 | 4 | 3 | 4 | ||||||
| 1992 | 旧JFL1部 | 17 | 13 | - | |||||||
| 1993 | 柏 | 10 | 18 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 18 | 18 | |
| 1994 | 16 | 旧JFL | 18 | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 19 | 17 | |
| 1995 | 本田 | 9 | 30 | 31 | - | 1 | 0 | 31 | 31 | ||
| 1996 | 30 | 36 | - | 2 | 1 | 32 | 37 | ||||
| 1997 | 平塚 | 10 | J | 27 | 18 | 6 | 8 | 3 | 4 | 36 | 30 |
| 1998 | 29 | 18 | 0 | 0 | 2 | 0 | 31 | 18 | |||
| 1999 | 名古屋 | 30 | J1 | 23 | 13 | 6 | 4 | 5 | 2 | 34 | 19 |
| 2000 | 28 | 10 | 4 | 0 | 1 | 1 | 33 | 11 | |||
| 2001 | FC東京 | 9 | 10 | 3 | 2 | 4 | - | 12 | 7 | ||
| 福岡 | 39 | 8 | 7 | - | 0 | 0 | 8 | 7 | |||
| 2002 | 9 | J2 | 19 | 6 | - | 2 | 0 | 21 | 6 | ||
| 通算 | ブラジル | セリエA | |||||||||
| 日本 | J1 | 125 | 69 | 18 | 16 | 11 | 7 | 154 | 92 | ||
| 日本 | J2 | 19 | 6 | - | 2 | 0 | 21 | 6 | |||
| 日本 | JSL1部 | 69 | 16 | ||||||||
| 日本 | JSL2部 | 23 | 33 | ||||||||
| 日本 | 旧JFL1部 | 113 | 115 | 1 | 0 | ||||||
| 総通算 | |||||||||||
その他の公式戦
タイトル
クラブ
- サンパウロFC
- 本田技研
- ジャパンフットボールリーグ 1回(1996年)
- 名古屋グランパスエイト
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 1回(1999年)
個人タイトル
指導者時代
- パウリスタFC
- コパ・パウリスタ 1回(2011年)
代表歴
- 1998年 FIFAワールドカップフランス大会
試合数
- 国際Aマッチ 20試合 5得点(1997-1999)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1997 | 6 | 3 |
| 1998 | 7 | 0 |
| 1999 | 7 | 2 |
| 通算 | 20 | 5 |
ゴール
| # | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1997年10月11日 | ウズベキスタン、タシュケント |
|
△ 1-1 | 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
| 2. | 1997年10月26日 | 日本、東京 |
|
△ 1-1 | |
| 3. | 1997年11月1日 | 韓国、ソウル |
|
○ 2-0 | |
| 4. | 1999年6月29日 | パラグアイ、アスンシオン |
|
● 2-3 | コパ・アメリカ1999 |
| 5. | 1999年7月5日 | パラグアイ、アスンシオン |
|
△ 1-1 |
著書
- 『呂比須』(小学館、1998年)ISBN 9784093794824
脚注
- ^ a b 下薗昌記 (2002年6月11日). “■海を渡ったサムライたち―日伯セレソン物語(10)―呂比須ワグナ-1-母とつかんだフランス行き-幼い頃からプロ宣言” (日本語). ニッケイ新聞. 2011年12月14日閲覧。
- ^ 下薗昌記 (2002年6月12日). “■海を渡ったサムライたち―日伯セレソン物語(11)―呂比須ワグナー-2-オスカルと共に18歳で-サッカー、文化両面に壁” (日本語). ニッケイ新聞. 2011年12月14日閲覧。
- ^ a b 下薗昌記 (2002年6月13日). “■海を渡ったサムライたち―日伯セレソン物語(12)―呂比須ワグナー-3-母への思い今も胸に-長男の誕生で帰化決意” (日本語). ニッケイ新聞. 2011年12月14日閲覧。
- ^ 菊川市出身DF笠井、リベルタ杯出るぞ! 日刊スポーツ
- ^ a b 田崎健太「国境なきフットボール」: 第47回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.4> SPORTS COMMUNICATIONS
- ^ Copa SP: Novo técnico do Pão de Açúcar Wagner Lopes se apresenta aos jogadores Futebol Interior (ポルトガル語)
- ^ Wagner Lopes não seguirá a frente do Galo パウリスタFC公式サイト (ポルトガル語)
- ^ Wagner Lopes não é mais técnico do Paulista Diário de Sao Paulo (ポルトガル語)
- ^ J1:ガンバ大阪、呂比須監督誕生は幻に毎日新聞、2011年12月16日
- ^ “2012年度 ガンバ大阪 新加入コーチングスタッフ 決定” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2011年12月26日) 2011年12月26日閲覧。
- ^ “ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について” (プレスリリース), ガンバ大阪, (2012年3月26日) 2012年3月26日閲覧。
- ^ 田崎健太「国境なきフットボール」: 第49回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.6> SPORTS COMMUNICATIONS
- ^ カメイ杯東北ユースサッカー(U-16)選抜大会 日刊スポーツ
- ^ 田崎健太「国境なきフットボール」: 第48回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.5> SPORTS COMMUNICATIONS
関連項目
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
- Jリーグの外国籍選手一覧
- 柏レイソルの選手一覧
- 湘南ベルマーレの選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- FC東京の選手一覧
- アビスパ福岡の選手一覧
- ガンバ大阪の選手一覧
- ジョゼ・オスカー・ベルナルディ
- ラモス瑠偉
外部リンク
- パスインターナショナル - 所属事務所の紹介
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