喜びの琴

三島由紀夫の戯曲

喜びの琴』(よろこびのこと)は、三島由紀夫戯曲。全3幕から成る。同じ思想を共有し、信頼していたはずの上司に裏切られる若い公安巡査悲劇を描いた作品。第1幕が反共思想、第2幕がそのアンチテーゼ、第3幕第1場がそのジュンテーゼとしてのニヒリズム(これによって主人公は、修羅の地獄へ叩き込まれる)、第3幕第2場が救済の主題の昂揚、という色彩となっている[1]

喜びの琴
作者 三島由紀夫
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 戯曲
幕数 3幕
初出情報
初出文藝1964年2月号
刊本情報
刊行 『喜びの琴 附・美濃子』
出版元 新潮社
出版年月日 1964年2月25日
装幀 上口睦人
初演情報
公演名 日生劇場公演
場所 日生劇場
初演公開日 1964年5月7日
演出 浅利慶太
主演 園井啓介
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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『喜びの琴』は当初、文学座により1964年(昭和39年)正月公演として上演される予定で、前年1963年(昭和38年)10月24日に脱稿され、11月15日から稽古に入っていたが、ソ連欧州から帰国した同座長・杉村春子を迎えての11月20日の緊急総会の決議の流れから、思想上の理由による上演中止が作者・三島へ申し入れられた。これをきっかけに三島とそれに同調する10数名の座員による脱退事件が起きた(詳細は「喜びの琴事件」を参照)。三島は、「いろんな事情で、この芝居ぐらゐ作者の私を苦しめ、又、多くの人を苦しめた作品はめずらしい」と述べている[1]

発表経過 編集

1964年(昭和39年)、文芸雑誌『文藝』2月号に掲載され、同年2月25日に新潮社より『喜びの琴 附・美濃子』として単行本刊行された[2][3]。初演は同年5月7日に日生劇場で上演された[4][5]

作品成立・主題 編集

三島由紀夫は、公安活動という〈地味で、扱ひにくい題材を用ひて、観客をアッといはせるやうなスリルに富んだ、面白い芝居を書いてやれ〉という意気込みだったとし、素材が地味だから、背景の事件を派手にしたと述べている[6]

芝居といふものは、絵空事で、絵空事のうちに真実を描くのだ、といふ確信は、近松門左衛門が、「虚実ハ皮膜ノ間ニアリ」と言つてゐるとほりである。この「喜びの琴」も例外ではないのに、かた苦しい一面ばかりが世間に喧伝されてしまつたと思ふのである。「喜びの琴」は、扱つてゐる世界が、公安警察といふぢみなものであるだけに、それだけに、芝居の技巧はいつそうはでにしてある。技巧だけからいへば、私の芝居の中で、もつとも華美な部類に属するといへるかもしれない。 — 三島由紀夫「私がハッスルする時―『喜びの琴』上演に感じる責任」[7]

また三島は、『喜びの琴』の主人公の若い巡査・片桐を〈一面気の毒な存在であるが、一面幸福な人間である〉とし、彼が受ける裏切りと、作品主題について以下のように解説している[1]

彼はその純粋な生一本な心情によつて、誰からも愛されてゐる。同僚から愛され、上司から愛されてゐる。しかし彼は、もつとも信頼する上司から裏切られて、見るも無残な目に会ひながら、なほその裏切りの彼方から自分が愛されてゐることに気づかない。それはもつとも厳しい、もつとも苦いであるが、彼は知らずに(怒り憎みながら)、この愛のなかを通りぬける。片桐ばかりではない。われわれはしじゆう体を貫いてゐる宇宙線に気づかぬやうに、この種の愛、この種の恩寵に気づかないのである。片桐はこの愛によつて、一旦、すべての目的と理想を失つた地獄へ叩き込まれる。そして川添巡査のの音の力で、地獄から這ひ上るとき、はじめて彼は自覚的な人間になるのである。この琴の音が何であるかについては、私はわざと注解を加へない。 — 三島由紀夫「『喜びの琴』について」[1]

なお、三島は1963年(昭和38年)2月に評論『林房雄論』を発表しているが、同時期に発表された他の作品との関連について、〈僕の考えを批評の形で出したのが『林房雄諭』だし、小説にしたのが『午後の曳航』や『』で、『喜びの琴』はその戯曲といふことになります〉と述べている[8]

あらすじ 編集

第1幕 - 近い未来の1月18日朝から19日午後

世間が「言論統制法」めぐって騒然としている都内某区本町警察署公安係室。そこに勤務する巡査たちは、密入国した反日スパイと思しき中華料理店の林という中国人など、怪しい人物の調査に勤しんでいた。中でも筋金入りの反共として知られる松村公安係巡査部長と、彼を尊敬する部下の片桐巡査は、極左が計画しているらしい列車転覆計画の情報を得ていた。総理大臣が1月21日に高崎駅から乗る予定の上越線急行越路の時刻の暗号らしきものも、協力者の佐渡から手に入れていた。

第2幕 - 1月21日朝から22日朝

本町署は独自の情報に基づき、松村部長は片桐巡査を現場の線路付近にある怪しい小屋の調査に向かわせた。事前の情報で総理は列車に乗車しなかったが、転覆事故は起こり、死者が出る惨事となった。片桐巡査は小屋にいた3人の右翼団体の男を逮捕し、現場に落ちていた無線送信機も押収した。事件は左翼の失墜を目論んだ右翼による陰謀だったと見られ、事件を摘発した片桐巡査は本町署の同僚たちから英雄扱いされた。ところが逮捕された右翼団体の男らは本庁の取調べでシロだと判明し釈放された。

第3幕 - 1月22日夜から23日朝

宿直の番をしている片桐巡査のところへ、本庁から帰ってきた署長がやってきて、「犯人が君に会って話したいと言っている」と言い、手錠をはめられた私服の松村を部屋に連れてきた。実は列車転覆事件は、極左党分離派のスパイとして公安警察に潜りこんだ松村の陰謀によるものだった。同じ党派の首魁・皆堂誠は中国人・林の手引きで国外逃亡していた。
松村は右翼の過激分子らを巧く騙し小屋におびきよせ、事件を右翼の仕業とし、裏で政府資本家が糸をひいているかのように見せかけ社会不安を巻き起こそうとしていた。極左グループは「言論統制法」が国民から総スカンされるようなキャンペーンをすすめる計画をしていたのだった。そして佐渡も松村への連絡係だった。片桐巡査は敬慕する松村の偽装工作に利用されたのだった。
手錠に拘束された松村を見て、「まさかあなたが」と声かける片桐に向かって、松村は一部始終について説明し破壊への衝動を語った。尊敬する先輩だと信じていた松村に裏切られた片桐は憤るが、松村は、「俺を信じたのはおまえの罪だ」と論戦を挑んだ。松村は、片桐の自分への憎悪裏切りに対するものなのか、それとも思想に対するものなのかと反問し、人を信じすぎる片桐自身に罪があるのではないかと迫った。思想の絶対化を唯一の拠り所として生きてきた片桐は、その思想が相対化されるという絶対的な孤独の中に陥った。
翌朝、片桐巡査は同僚や掃除婦から慰められたが心は沈みがちだった。そして、そんな片桐巡査の耳に、以前、交通係の川添巡査がデモの合間に空から聞えてくると言ったの音色が聞えてきた。その音色は他の者には聞えず、川添巡査は皆から変人扱いされていたが、今はっきりと片桐巡査の耳にも、その澄んだ、静かな、心の休まるような琴の音色が聞え出した。川添巡査は片桐巡査に、「お前も聞えるのか」と言った。そして2人は、他の者には聞えないその「喜びの琴」のすばらしい調べに耳をすまして、再び仕事に戻った。

作品評価・研究 編集

『喜びの琴』の評価は賛否両論に分かれ、否定的なものとしては、三島戯曲の中で「芸術的な鮮度の高い作品ではない」と尾崎宏次が評し[9]野村喬は、「主題と題材との間」に調和を欠いていると述べている[10]。肯定的なものとしては、奥野健男が、「反共劇どころか、革命讃美劇のように見える」とし、その反俗性を評価している[11]

磯田光一は、三島の『林房雄論』で語られた「〈純潔を誇示する者の徹底的な否定、青空ととによる地上の否定〉[12]情念こそ、かつてのマルクス主義運動を支え、また戦時下のナショナリズムをも支えていた日本的な心情」という要旨が、『喜びの琴』にも通底し、その主題は、「人間は生きるために如何に〈を意味づける超越原理〉を必要とするかという認識」でもあり、「戦後の進歩主義の盲点は、このような戦争の二重構造に対して全く盲目だった」と断じている[13]

そして磯田は、戦後の進歩主義者やヒューマニストらが、戦時下の青年たちを単に「だまされた」という語で還元してしまうことの浅薄さを指摘しながら、「人間は本質的にファシズムを渇望し、〈美しい〉にあこがれるという事実を、なぜ直視しようとしないのか」と述べ、本質的原初的な〈日本人のこころ〉という意味では、保田与重郎の心情も小林多喜二の心情も同じだと論じている[13]。また、片桐の「〈信頼〉の悲劇」は現代社会の悲劇であるが、彼はドン・キホーテにすぎないとし、その素朴な信仰者の片桐が、松村という凶悪なニヒリストに糾弾され、〈清純さの罪、若さの罪、この世できれいな心が負はなければならん罪〉を告発される場面は、「現代の包蔵している背理をすさまじい迫力をもってえぐり出している」と解説している[13]

松本鶴雄は、二転三転するどんでん返しが「実に巧妙」で、「松村と片桐の対立は凄絶な心理劇の定石通り緊迫して進行する」と高評価しながら、「本当の美は悪魔的状況の中に、あるいは人間不信と絶望の背徳の中から花開くという、三島文学の一貫したテーマがここにもいかんなく描かれている」と解説している[14]

村松剛は、三島が次の戯曲『恋の帆影』の解説の中で、ヒロインがの一夜の後に、〈実存的な目ざめ〉をし、〈それまで彼女を縛めてゐた「純潔」の観念が、実は真の実存からの逃避であつたこと、生の「本来的な憂慮(ゾルゲ)の様相」の拒否であつたことを、つひに彼女は知るにいたる。(この点では、「恋の帆影」の女主人公の純潔は、「喜びの琴」の主人公の純潔と、まるでちがつたもののやうに見えながら、実は相照応してゐる)〉[15]と述べていることを鑑みて、『喜びの琴』のの音には、ヘルダーリンの詩『帰郷』に現れる故郷への回帰がもたらす喜びの「の弾奏」の影響をあるのではないかと推察している[16][注釈 1]

大久保典夫は、敗戦後2年目に書かれた太宰治の短編『トカトントン』と、安保騒動の3年後に書かれた『喜びの琴』が共に、「きわめてアクチュアルな作品」であり、「トカトントン」という金槌の音と同じく、「コロリンシャン」という琴の音も、「いっさいの信頼や情熱そのものを空無化する作用」を果たしているとし[17]、太宰の『トカトントン』が、「ミリタリズムの幻影の剥落した敗戦直後」と対応しているのと同様に、三島の『喜びの琴』は、「戦後革命の幻想の崩壊した60年安保後の現実」を捉えていると考察している[17]

舞台公演 編集

おもな刊行本 編集

  • 『喜びの琴 附・美濃子』(新潮社、1964年2月25日) NCID BA31770786
    • 装幀:上口睦人。紙装。フランス装。段ボール・トンネル函。211頁
    • 収録作品:「喜びの琴」「美濃子」
  • 『ちくま日本文学10 三島由紀夫』(ちくま文庫、2008年2月6日)
    • 装幀:安野光雅。解説:森毅「わが友ミシマ」
    • 収録作品:「海と夕焼」「中世」「夜の仕度」「家族合せ」「幸福という病気の療法」「真珠」「三原色」「喜びの琴」「私の遍歴時代(抄)」「終末感からの出発」「わが魅せられたるもの」「不道徳教育講座より(人に迷惑をかけて死ぬべし、文弱柔弱を旨とすべし、告白するなかれ)」「独楽
  • 『若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇』(岩波文庫、2018年11月17日)

全集収録 編集

  • 『三島由紀夫全集23(戯曲IV)』(新潮社、1974年11月25日)
  • 『三島由紀夫戯曲全集 下巻』(新潮社、1990年9月10日)
  • 『決定版 三島由紀夫全集24巻 戯曲4』(新潮社、2002年11月8日)
    • 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
    • 月報:立松和平「厳粛なる快楽」、斎藤康一「ファインダーの中の三島さん」、〔天球儀としての劇場4〕田中美代子「政治劇のあとに」
    • 収録作品:「喜びの琴」「美濃子」「恋の帆影」「サド侯爵夫人」「撮影台本 憂国」「アラビアン・ナイト」「朱雀家の滅亡」「ミランダ」「わが友ヒットラー」「『喜びの琴』創作ノート」「『美濃子』創作ノート」「『恋の帆影』創作ノート」「『アラビアン・ナイト』創作ノート」「『朱雀家の滅亡』創作ノート」「『ミランダ』創作ノート」

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ヘルダーリンの詩『帰郷』は次のような詩句で終わる[16]
    けれども、絃の弾奏はすべての時間に声を与え 近づきつつある天上たちをおそらくはよろこばせよう。 
    それが奏でられるとき、喜びの中にもまじる憂い(ゾルゲ)は、すでになかば和らげられているのだ。 
    このような憂いを、好むと否とにかかわらず、 怜人はのうちにしばしば抱かねばならぬのだ、しかし他のひとびとはそうではない。 — ヘルダーリン「帰郷」

出典 編集

  1. ^ a b c d 「『喜びの琴』について」日生劇場プログラム、1964年5月)。33巻 2003, pp. 70–71に所収
  2. ^ 井上隆史「作品目録――昭和39年」(42巻 2005, pp. 433–437)
  3. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  4. ^ 山中剛史「上演作品目録」(42巻 2005, pp. 731–858)
  5. ^ みなもとごろう「喜びの琴」(事典 2000, pp. 396–399)
  6. ^ 「『喜びの琴』について」(日生劇場プログラム 1964年4月)。33巻 2003, pp. 38–39に所収
  7. ^ 「私がハッスルする時―『喜びの琴』上演に感じる責任」(読売新聞 1964年5月10日号)。33巻 2003, pp. 55–59に所収
  8. ^ 「三島由紀夫インタビュー」(週刊読書人 1963年12月2日号)。磯田 1979, pp. 74–75
  9. ^ 尾崎宏次「愛と憎しみの主題」(読売新聞夕刊 1964年5月18日号)。事典 2000, p. 398
  10. ^ 野村喬「三島由紀夫と劇」(解釈と鑑賞 1966年7月号)。『戯曲と舞台』(リブロポート、1995年10月)に所収。事典 2000, p. 398
  11. ^ 鈴木晴夫「喜びの琴」(旧事典 1976, p. 446)
  12. ^ 林房雄論」(新潮 1963年2月号)。『林房雄論』(新潮社、1963年8月)。32巻 2003, pp. 337–402、作家論 1974, pp. 123–191に所収
  13. ^ a b c 「『日本』という“美”と“悪”――『林房雄論』と『喜びの琴』」(図書新聞 1964年1月1日号)。磯田 1979, pp. 74–85に所収
  14. ^ 松本鶴雄「『喜びの琴』『朱雀家の滅亡』より『豊饒の海』へ」(『三島由紀夫研究』右文書院、1970年7月)。事典 2000, p. 399
  15. ^ 「美の亡霊―『恋の帆影』」(日生劇場プログラム 1964年10月)。33巻 2003, pp. 204–206に所収
  16. ^ a b 「III 死の栄光――NLTの結成と四部作」(村松 1990, pp. 348–372)
  17. ^ a b 大久保典夫「『トカトントン』ノオト―『喜びの琴』と対比させて」(『太宰治第4号 特集 トカトントン 饗庭孝男に聞く 太宰治のトポスとパトスほか』洋々社、1988年7月)。大久保典夫『大衆化社会の作家と作品』(至文堂、2006年)に所収。論集I 2001, pp. 281–285に抜粋掲載

参考文献 編集

関連項目 編集