大和 吉直(やまと の よしなお、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族真人官位従五位上安芸守

経歴 編集

仁明朝承和11年(844年従五位下叙爵し、承和13年(846年肥後守に任ぜられる。翌承和14年(847年)早くも兵部少輔として京官に遷ると、まもなく仁明天皇の皇女時子内親王薨去し、その喪事を監護した[1]

文徳朝の斉衡4年(857年)正月に木工頭に任ぜられると、同年2月に権大納言安倍安仁らとともに天安への改元を諸天皇陵に報告した[2]。その後、同年12月に越前介、翌天安2年(858年)2月に武蔵権介次いで常陸権介、6月には安芸守と短期間に地方官を転々とした。なお、同年正月に従五位上に叙せられている。

官歴 編集

六国史』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本後紀』承和14年2月12日条
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』天安元年2月20日条

参考文献 編集