大宅 金弓(おおやけ の かねゆみ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。官位は正五位上・伊勢守。
文武朝の大宝元年(701年)治部少輔の官職にあったが、右少弁・波多広足とともに左大臣・多治比真人嶋の葬儀を指揮した[1]。
元明朝までに正五位下まで昇叙される。和銅元年(708年)伊勢守に任ぜられ、和銅2年(709年)東海・東山二道に対して巡察使・藤原房前が派遣されるが、金弓は尾張守・佐伯大麻呂、近江守・多治比水守、美濃守・笠麻呂とともに治国を賞されて、賜田11町・穀200斛・衣一襲を与えられた。和銅4年(711年)正五位上に至る。
『続日本紀』による。