山口 義一(やまぐち ぎいち、1888年明治21年)1月20日 - 1935年昭和10年)4月15日[1])は、日本の衆議院議員立憲政友会)。

山口義一

経歴 編集

大阪府堺市出身。1915年大正4年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[2]1917年(大正6年)、堺市長選挙に推されたが、市会での得票数が対立候補の斎藤研一と同数だったため、年下の山口が譲らざるを得なかった[3]

その後、京都帝国大学大学院で社会政策を学んだが、1919年(大正8年)に退学[2]。翌年の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回当選を重ねた。普通選挙貴族院改革を主張した。田中義一内閣大蔵参与官に就任した後、政友会幹事長を務めた。

また堺スコップ株式会社、坂自転車株式会社の役員も務めた[2]

脚注 編集

  1. ^ 『官報』第2486号、昭和10年4月19日
  2. ^ a b c 『代議士詳覧』
  3. ^ 『政治家群像』

参考文献 編集

  • 『衆議院要覧(乙)昭和五年四月』衆議院事務局、1930年。 
  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 
  • 中外商業新報編輯局編『政治家群像』千倉書房、1932年。