平成7年梅雨前線豪雨(へいせい7ねんばいうぜんせんごうう)は、1995年平成7年)6月末から7月にかけて、梅雨前線の活動により発生し、信越地方を中心に大きな被害をもたらした豪雨である[1]平成7年7月北信・上越梅雨前線豪雨災害などとも呼ばれる[2]

平成7年梅雨前線豪雨
発災日時 1995年6月30日 - 7月22日
被災地域 日本の旗 新潟県長野県 など
災害の気象要因 梅雨前線
気象記録
最多雨量 富山県立山町で1,731 mm
人的被害
死者
4人
行方不明者
1人
負傷者
16人
建物等被害
全壊
85棟
半壊
126棟
一部損壊
405棟
床上浸水
2,195棟
床下浸水
16,013棟
出典: 梅雨前線 (災害をもたらした気象事例) - 気象庁
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概要 編集

1995年(平成7年)6月末から7月にかけて、時々梅雨前線の活動が活発化し、東北地方から九州地方までの広い範囲で大雨となった。この期間の降水量は、富山県立山町で1,731 mm、山形県遊佐町鳥海山で970 mm、佐賀県太良町多良岳で948 mmとなるなど、東北地方から九州地方までの広い範囲で、平年の7月の降水量の150 %から250 %の降水量となった[1]。 7月1日から7月4日にかけて、前線は西日本から東日本にかけて停滞し、九州・四国近畿地方で300 mmを超える大雨となった[1]

7月8日から12日にかけて、前線は日本海から北陸地方にかけて停滞し、活動が特に活発となった。このため、北陸地方から東北地方の日本海側を中心に大雨となった。 長野県北部・北陸地方・東北地方の日本海側で400 mmを超えた所があった。この大雨により、新潟県上越地方及び長野県北部では、姫川の氾濫、鉄橋流失、土砂崩れなどにより鉄道の不通、家屋の浸水などの被害が発生した[1]。この水害は新潟県上越地方長野県北信地方大北地域富山県東部では7.11水害と呼ばれる。

7月20日から22日にかけて、前線は山陰沿岸から東日本を通り、関東地方の東海上にかけて停滞した。また、沖縄の南海上から東シナ海に進んだ台風3号の影響で、前線に向かって南から暖湿気流が入り、前線の活動が活発化した。 このため、中国・四国・近畿及び北陸地方を中心に大雨となり、特に山陰や四国及び近畿地方の太平洋側では、日降水量が200 mmを超えたところがあった[1]

被害 編集

一連の豪雨による被害は、人的被害が死者・行方不明者5人、負傷者16人となったほか、建物等被害は全壊85棟・半壊126棟・一部損壊405棟・床上浸水2,195棟・床下浸水16,013棟などとなった[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 梅雨前線 平成7年(1995年) 6月30日~7月22日”. www.data.jma.go.jp. 2020年6月15日閲覧。
  2. ^ 平成7年7月北信・上越梅雨前線豪雨災害”. www.kasen.net. 2020年6月15日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集