志村 資良(しむら すけよし)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。元は新村氏といい、志村氏と改姓した。

 
志村資良
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永禄4年(1561年
死没 慶長7年(1602年
改名 新村資良、志村資良
別名 右衛門、加兵衛
戒名 牧雲
主君 六角義賢徳川家康
氏族 高階氏志村氏
父母 新村資則
中村一氏の姪
資只
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生涯 編集

近江神崎郡新村の武家で、近江下半国守護六角氏に仕えたが、元亀2年(1571年織田信長軍の攻撃により新村城(滋賀県東近江市新宮町)を失い、父と共に駿河へと亡命する。その後、駿府城中村一氏の元に身を寄せる。慶長5年(1600年会津征伐の際、東海道を行く徳川家康が駿府城に立ち寄ったが、そのとき重病だった一氏が資良を家康の家臣に推薦したため、徳川氏に召し抱えられた。直後の関ヶ原の戦いでは一氏の弟中村一栄と共に従軍し、杭瀬川の戦い大垣城の戦いで戦功があった。戦後は近江蒲生郡に500石を与えられたが、2年後に駿府で死去した。

系譜 編集

高資廣(伊賀守) - 新村資則(筑後守、宗圓) - 志村資良 - 志村資只(加兵衛、宗仲) - 志村資長(加兵衛、道嘉) - 志村資信(孫九郎、覺左衛門、通玄) - 志村師平(孫九郎、宗白)

出典 編集