新井田セイノ

日本のアイヌ文化伝承者

新井田 セイノ(あらいだ セイノ[1]1917年大正6年〉4月4日[2] - 2011年平成23年〉11月[3])は、日本アイヌ文化伝承者。北海道鵡川町(後のむかわ町)において、カムイユカㇻの伝承[4]アイヌ語教室の講師によるアイヌ語の伝承と地域の指導[3]、後継者育成など、アイヌ文化の振興に大きく貢献した[5]

あらいだ セイノ

新井田 セイノ
生誕 (1917-04-04) 1917年4月4日
北海道静内
死没 2011年11月(94歳没)
住居 北海道鵡川町
国籍 日本の旗 日本
民族 アイヌ
活動期間 1974年 -
時代 昭和 - 平成
団体 北海道ウタリ協会鵡川支部
鵡川アイヌ文化伝承保存会
著名な実績 アイヌ文化の振興
活動拠点 北海道鵡川町
家族 吉村冬子(妹、アイヌ文化伝承者)
受賞 北海道文化財保護功労者(1995年)
鵡川町文化賞(1995年)
アイヌ文化賞(2001年)
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経歴 編集

北海道静内(後の新ひだか町)に生まれた[3]。1919年(大正8年)、母と共に鵡川に移住した[3][4]。母の目が不自由だったため、幼少時より農作業を手伝った[4]。生活は苦しく、周囲からのいじめにも遭ったが、農作業中に母から聞かされたアイヌの詩で勇気づけられた[4]

1974年(昭和49年)に、北海道ウタリ協会(北海道アイヌ協会)鵡川支部が発足すると、同会に参加した[4]。それを契機として、鵡川地方に伝承されるアイヌ語やカムイユカㇻの伝承に、本格的に取り組みを始めた[4]

1980年(昭和55年)、鵡川アイヌ文化伝承保存会の設立に関わり[2]、保存会の設立当初から中心的役割を担った[3]。1992年(平成4年)からは鵡川アイヌ語教室の講師を務め[6]、地域の指導者として活躍した[3]。神に夫を助けられたことを喜んだユーカラ「アペ・フチ・カムイ」を特に得意とし、発音の美しさには定評があった[4]。また、アイヌ民族博物館主催の「カムイユカㇻの夕べ」でカムイユカㇻを口演するなど、各地でのアイヌ語の伝承・保存活動にも積極的に取り組んだ[3]。アイヌ古式舞踊公演への参加も多く、アイヌ文化に関する多数の研究、調査にも協力した[2]

2001年(平成13年)には、鵡川アイヌ文化伝承保存会での活躍や、地域の後継者育成に取り組んだ功績などにより、アイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化賞を受賞した[2]。地元関係者からは「ばあちゃんは鵡川の宝」との喜びの声が上がった[4]。この当時は84歳であったが、高齢でもなお、歌や踊りの指導に取り組むなど、後継者育成、アイヌ文化の振興に貢献していた[2]

2011年(平成23年)11月、満94歳で死去した[3]。なお、妹の吉村冬子もアイヌ文化伝承者である[7]

受賞・表彰歴 編集

  • 1995年(平成7年) - 北海道文化財保護功労者[2]、鵡川町文化賞[1]
  • 2001年(平成13年) - アイヌ文化賞[2]

脚注 編集

  1. ^ a b アイヌ語ラジオ講座テキスト” (PDF). アイヌ民族博物館. p. 2 (2000年). 2023年3月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 平成13年度アイヌ文化賞 新井田セイノ(84歳)”. アイヌ民族博物館 (2001年). 2023年3月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h アイヌと自然デジタル図鑑”. アイヌ民族博物館. 2023年3月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 「新井田さん、アイヌ文化賞に ばあちゃんは鵡川の宝 関係者祝福「後継者を育てたい」」『北海道新聞北海道新聞社、2001年10月4日、苫B朝刊、23面。
  5. ^ 語りべ”. アイヌ語アーカイブス. アイヌ民族博物館. 2023年3月4日閲覧。
  6. ^ 増子義久「言霊(ルポ・アコロイタク アイヌ語の現場から)」『朝日新聞朝日新聞社、1995年3月7日、東京夕刊、3面。
  7. ^ 押野里架「フチとの思い出 アイヌ文化 幼いころから」『北海道新聞』、2014年2月7日、苫C朝刊、31面。