未完成の音楽作品(みかんせいのおんがくさくひん)では、「未完成交響曲」のニックネームがあるフランツ・シューベルト交響曲第7番ロ短調D.759など、作曲者自身の手によって完成されることがなかった音楽作品について記述する。

未完成の音楽作品は、文字通り完成されていない音楽である以上、作曲者が自身の「作品」として発表することは基本的にはない[1]。また、未完成である以上「作品」として演奏されることは、一部の例外を除いてまれである。むしろ、各々の作曲家を研究する上においての資料として扱われる場合の方が多いであろう。

分類 編集

未完成の音楽作品の分類法はいろいろ考えられる。

  1. 一応1つの作品として解釈できなくもない状態まで仕上げられているものと、そうでないもの。
  2. 作曲半ばでその作品の完成を断念したものと、作曲半ばで死去したもの。

どちらの分類法も、その定義が極めてあいまいであり、完全に分類しきれるものではない。以下では便宜的に後者の分類法を用いることにする。

作曲家が完成を断念したもの 編集

上の分類法においてここに分類されると考えられる作品としては、以下のものが挙げられる。

上記のうち、シューベルトの交響曲ロ短調は例外的に「音楽的に完成された作品」とみなされ、頻繁に演奏されている。それ以外はみな、たとえば習作的であったり、途中で作曲家が投げ出したものなどであり、「作品」として演奏されることは少ない。

完成前に作曲家が死亡したもの 編集

上の分類法においてここに分類されると考えられる作品としては、以下のものが挙げられる。

現在頻繁に演奏されている未完成の音楽作品 編集

今日、未完成でありながらも頻繁に演奏されている音楽作品としては、以下のものが挙げられる。

交響曲 編集

このうちシューベルトの未完成交響曲は完成した部分が第2楽章までであるが、そのままでも十分な交響曲と見なしうるとして頻繁に演奏されている。

ブルックナーのものは大半が完成されているが、演奏可能な状態まで作曲されたのは第3楽章までである。第4楽章は補筆が試みられており、それを含めて完全な交響曲として演奏される場合もあるが、3つの楽章のみで演奏されることが多い。ブルックナー本人は第4楽章の代わりに『テ・デウム』を演奏しても良いと語ったと伝えられている。

ボロディンのものは一部が未完成に終わったが、弦楽四重奏曲から編曲されて充てられている。

マーラーのものは、第1楽章はほぼ完成されていたが、他は大雑把な枠組みのみであった。第1楽章単独で演奏されることもあるが、残りの楽章が研究家の手によって補筆完成され、全楽章演奏されることもある。特にクック版が有名である。

オペラ 編集

管弦楽曲 編集

協奏曲 編集

室内楽曲 編集

器楽曲 編集

  • シューベルトピアノソナタ第12810111215番など
  • ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第3番 - 全5楽章の構想のうち、公開出版されているのは第2楽章および第3楽章のみ。作曲者自身が完成しているとして存命中に放棄した。非公開の自筆譜に基づく他の楽章を演奏した録音も市販されているが、多くのピアニストが演奏会や録音で取り上げるのは公開されている第2・第3楽章のみである。第3楽章「星座」は赤と緑の2色刷りの楽譜で、作曲者の提唱する「管理された偶然性」によって幾通りもの演奏ができる。特に逆から読んだ場合は題名を「星座 - 鏡」とする。

合唱曲 編集

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ ウォルトン交響曲第1番のように、完成が予定されている作品を未完成の段階で部分初演することはまれにある。
  2. ^ 『作曲家別名曲解説ライブラリー R・シュトラウス』音楽之友社、P220

関連項目 編集