權三と助十』(ごんざとすけじゅう)は、1926年大正15年)に初演された岡本綺堂戯曲新歌舞伎の演目であり[1][2][3]、それを原作とした1937年(昭和12年)製作・公開、伊丹万作脚本・監督による日本の劇映画トーキーである[4]。いずれも新漢字表記は『権三と助十[1][2][4]。岡本の戯曲は18世紀以降に成立したとされる講談大岡政談』の一挿話『権三助十』を下敷きにしたものであり[1][2]、伊丹の映画は本戯曲を原作とした唯一の映画作品である[5]

同名の映画も存在するが、岡本の戯曲を原作としていないものについては、すべて、

略歴・概要 編集

そもそも駕籠舁(かごかき)の権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)は、「大岡越前守」の通称で知られる実在の人物、大岡忠相(1677年 - 1752年)についての伝承・評判の類いを集めた講談『大岡政談』のエピソード『小間物屋彦兵衛』のエピソードの登場人物であった[1]。岡本綺堂によれば、そこからスピンオフした『権三助十』を歌舞伎の大舞台で上演したのは、1897年(明治30年)5月、東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)の春木座(後の本郷座)で、三代目片岡我當(のちの十一代目片岡仁左衛門)が「権三」を演じたのが最初だという[1]

岡本綺堂による戯曲は、2幕ものであり、世話物に分類される[1][3]。『大岡政談』に取材した作品であるが、「大岡越前守」は登場しない[1][3]。武士もほとんど登場せず、町人、駕籠舁、左官屋猿まわし願人坊主といった身分の低い者が中心の芝居である[3]。初演は1926年(大正15年)7月、東京の歌舞伎座で行われ、権三を十五代目市村羽左衛門、助十を二代目市川左團次がそれぞれ演じた。

伊丹万作による映画では、原作とは異なり、「大岡越前守」が登場し、深見泰三が演じている[4][6]。伊丹版では、権三を鳥羽陽之助、助十を小笠原章二郎がそれぞれ演じた[4][6]

登場人物 編集

  • 駕籠かき 權三
  • 權三の女房 おかん
  • 駕籠かき 助十
  • 助十の弟 助八
  • 家主 六郎兵衞
  • 小間物屋 彦兵衞
  • 彦兵衞のせがれ 彦三郎
  • 左官屋 勘太郎
  • 猿まはし 與助
  • 願人坊主 雲哲
  • 願人坊主 願哲
  • 石子伴作
ほかに長屋の男、女、娘、子供、捕方、駕籠舁など

映画 編集

權三と助十
監督 伊丹万作
脚本 伊丹万作
原作 岡本綺堂
製作 森田信義
出演者 鳥羽陽之助
小笠原章二郎
音楽 紙恭輔
撮影 三木茂
照明 上林松太郎
製作会社 ゼーオー・スタヂオ
配給   東宝映画
公開   1937年10月8日
上映時間 81分
製作国   日本
言語 日本語
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權三と助十』(ごんざとすけじゅう)は、岡本綺堂の同名の戯曲を原作とした1937年(昭和12年)製作・公開、伊丹万作脚本・監督による日本の劇映画トーキーである[4][6]東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリントとして、オリジナルと同一の完全尺の35mmフィルムを所蔵している[6]

スタッフ・作品データ 編集

キャスト 編集

製作逸話 編集

  • 撮影後のラッシュ時に、權三と助十が衣装の半纏を着用していない場面が見つかり、画面が繋がらなくなる事態が発生した。助監督をしていた市川崑が同じくチーフ助監督の佐伯清と共に、伊丹監督の元に謝罪に行くと、伊丹は「どうして君たちが謝るんだ。監督の僕がうかつだったんだ。セットを建て直して、撮り直そう」と淡々と応じ、市川は伊丹の懐の深さに感心したという[7]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 岡本[1956], p.349-354.
  2. ^ a b c 《権三と助十》コトバンク、2013年1月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 權三と助十(本文)、青空文庫、2013年1月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e 権三と助十日本映画データベース、2013年1月12日閲覧。
  5. ^ 岡本綺堂 - 日本映画データベース、2013年1月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e 権三と助十東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月12日閲覧。
  7. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P24

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

映画