永瀬 昭幸(ながせ あきゆき、1948年9月18日 - )は、日本の実業家鹿児島県垂水市出身。東京大学経済学部卒業。東進ハイスクール創設者。株式会社ナガセ代表取締役社長。

ながせ あきゆき

永瀬 昭幸
生誕 (1948-09-18) 1948年9月18日(75歳)
日本の旗 日本 鹿児島県
出身校 東京大学経済学部
職業 実業家
肩書き 株式会社ナガセ代表取締役社長
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概要 編集

1948年昭和23年)、鹿児島県肝属郡垂水町(現在の垂水市)生まれ。ラ・サール高校東京大学経済学部卒業[1]。東大在学中に自宅で学習塾を立ち上げた。東京大学卒業後は野村證券を経て[2]1976年(昭和51年)に株式会社ナガセを設立。

1985年(昭和60年)には高校生向けの大学受験予備校である東進ハイスクールを設立。1988年、ナガセはジャスダックに上場。

その他に「四谷大塚」「早稲田塾」「イトマンスイミングスクール」などの塾・予備校を展開するほか社会人教育にも進出している[1]

略歴 編集

幼少時代 編集

小学校の時代にラ・サール中学校に進学しようと猛勉強。小学校の先生は協力的で放課後に補習授業を行ってくれた。その甲斐あってラ・サール中学に入学[3]

鹿児島市は垂水市と対岸にあり、中学・高校の6年間はフェリーが通学手段だった[3]

同級生には、初代消費者庁長官の内田俊一、元東芝副社長の前田義広、フィンランド大使などを歴任し空港施設元社長の丸山博、バーコード最大手サトーホールディングスの元社長、大塚正則がいる[2]

大学時代 編集

ラ・サール高校を卒業後、東京大学経済学部へ進学。1968年昭和43年)に東大紛争の責任者の一人がラ・サールの卒業生だったことで処分取り消しを求め運動を始める。結果的にそれがきっかけでテストが受けられず、2年留年するはめになった。父は怒り、仕送りを止めてしまった。生活のために家庭教師を行ったところ生徒が集まり、塾を開くことになった[2]

1971年(昭和46年)3月にアパートの一室で「ナガセ進学教室」を開講。「ラ・サール出身の東大生が教えます」をキャッチフレーズに講師を集めた。塾の経営はかなりうまく行き、妹の学費や生活費の面倒を見ることもできた[2]

会社設立 編集

東京大学を卒業後、1973年(昭和48年)に野村證券に就職。しかし2年で退職し「ナガセ進学教室」を母体に(株)ナガセを1976年(昭和51年)5月に設立[2]

1985年(昭和60年)4月に大学受験予備校「東進ハイスクール」を設立。1988年(昭和63年)に有名講師を競合予備校からスカウト。「現役中心」の運営体系に切り替える。同年、株式を店頭市場に公開[2]

1992年平成4年)に「東進衛星予備校」を設立し全国の塾・予備校を対象にフランチャイズ展開を開始した[2]

フランチャイズ化 編集

2004年(平成16年)に株式をジャスダックに上場。この年から「東進ハイスクール」を全国各地に開校を早めていく[2]

2006年(平成18年)に四谷大塚を、2008年(平成20年)にイトマンスイミングスクールを、2014年(平成26年)に早稲田塾を傘下に収める[2]

2015年(平成27年)には「東進ハイスクール」は関東地方を中心に94の校舎を展開。フランチャイズの東進衛星予備校を加えると日本全国で約1000校が展開される[2]

書籍 編集

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集