座標: 北緯38度29分12.02秒 東経140度42分41.34秒 / 北緯38.4866722度 東経140.7114833度 / 38.4866722; 140.7114833王城寺原演習場(おうじょうじはらえんしゅうじょう、Ojojihara Proving Ground)は、宮城県加美郡色麻町黒川郡大和町大衡村の3町村にまたがり所在する陸上自衛隊演習場。東日本でも大規模な部類の演習場となる。

王城寺原演習場

榴弾砲の演習による地響きが栗駒、石巻、仙台と広範囲にまで騒音を出して問題となっている。

管理部隊 編集

  • 大和駐屯地業務隊管理課演習場管理班

概要 編集

 
訓練のため王城寺原に飛来した陸上自衛隊のAH-1S
 
アメリカ海兵隊によるM777 155mm榴弾砲の実弾演習
 
74式戦車の訓練
 
プレハブ小屋を使用したCQB訓練(2004年2月9日)

東北地方では唯一、対戦車ヘリコプター迫撃砲榴弾砲戦車の訓練が可能な大規模演習場であり、陸上自衛隊だけでなく在日米軍の訓練にも使われている。演習場の管理は最寄りの大和駐屯地業務隊が担当している。

第二次世界大戦末期には、本土決戦に備えて特別攻撃隊専用の秘匿飛行場が設置されたことがあった[1][2]

近年では市街戦を想定した訓練場として190m×150mの区画に「ホテル」「銀行」「総合ビル」「スーパーマーケット」を模したプレハブ小屋、マンホールを有する下水道が整備されている[3]

現在では演習による騒音が問題となっている。例えば榴弾砲は山に向かって射撃されるが、演習場の周囲に高い山がないため、砲声等は大崎市古川仙台市泉区でも聞こえるようになる。このため騒音が届く地域にも訓練の日程などが通知されている[4]

155mm榴弾砲演習による騒音と地響きは宮城県の広範囲におよび、ニュースにもなった。2023年現在も続いており騒音で家の窓が震えるなど問題になっている。

沿革 編集

大原砲兵射撃場

大原練兵場

  • 1888年明治21年)頃:徐々に拡張され、約2倍の面積となり、大原練兵場と仮称される。

大原演習場

  • 1890年明治23年)頃:大原演習場と呼ばれる。
  • 日清戦争後の1897年(明治30年)から日露戦争後の1908年(明治41年)にかけて3回の大幅な土地の買収、収容が行われ演習場の拡張が行われた。この頃の拡張で、王城寺原を含む土地が演習場に組み込まれる。

王城寺原演習場

演習場の状態 編集

総面積
46,488,691平方メートル
内訳
色麻町
19,028,662平方メートル
大和町
15,759,504平方メートル
大衡村
11,700,525平方メートル

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 大日本帝国陸軍「飛行場配當図」では「秘匿飛行場(と号専用)」と記載されている。「と号」とは特別攻撃隊の意。
  2. ^ 滑走路として整備された約1300mの直線道は市街地から王城寺原演習場の入り口へ続く道として利用されている。
  3. ^ 野口卓也「武装工作員を鎮圧せよ! 東北方面隊市街地訓練」『』2007年8月号
  4. ^ 王城寺原演習場における訓練予定について - 仙台市泉区

参考文献 編集

  • 仙台防衛施設局史等編纂委員会「仙台防衛施設局史」1991年3月
  • 「色麻町史」第二節 王城寺演習場の変遷
  • 飯澤耕作 「王城寺原演習場の変遷」東北経済倶楽部

関連項目 編集

リンク 編集