長 奥麻呂(なが の おきまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代官人[1]歌人[1][2]である。名は意吉麻呂[3][4]、興麻呂とも表記される[3]

経歴・人物 編集

経歴については不明な部分が多いが渡来系として生まれ[4]、初めは官人として活躍したといわれている[1]。『万葉集』によれば、699年文武天皇難波行幸[4]701年大宝元年)の文武および持統上皇紀伊行幸に携わったとされている[4]

702年(大宝2年)頃には文武、持統の三河行幸にも携わったとされている[1]。この時に詠んだ和歌や宴席にて題として与えられた即興の狂歌等14首からなる短歌[1][2]、『万葉集』に収録されている[1][2]。なお、行幸の際に詠んだ和歌は6首残されている[4]

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  • 一二の目 のみにはあらず 五六三四 さへありけり 双六の頭 - 奥麻呂が得意とする種類の和歌が強調されている[1]。第八首、『万葉集』16巻に収録[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『長奥麻呂』- コトバンク
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『長奥麻呂』- コトバンク
  3. ^ a b デジタル大辞泉小学館)『長奥麻呂』- コトバンク
  4. ^ a b c d e 世界大百科事典 第2版(平凡社)『長意吉麻呂』- コトバンク

外部リンク 編集