青森県立青森北高等学校

青森県青森市大字羽白字富田にある県立高等学校

青森県立青森北高等学校(あおもりけんりつ あおもりきたこうとうがっこう, : Aomori Prefectural Aomorikita High School)は、青森県青森市大字羽白字富田にある全日制の県立高等学校。通称「北高(きたこう)」。

青森県立青森北高等学校
地図北緯40度51分0.5秒 東経140度41分19.8秒 / 北緯40.850139度 東経140.688833度 / 40.850139; 140.688833座標: 北緯40度51分0.5秒 東経140度41分19.8秒 / 北緯40.850139度 東経140.688833度 / 40.850139; 140.688833
過去の名称 青森市立第一中学校
青森市立第一高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 青森県の旗 青森県
校訓 自治・協和・日進
設立年月日 1941年(昭和16年)
共学・別学 男女共学
分校 今別校舎
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
スポーツ科学科
学期 3学期制
学校コード D102210000451 ウィキデータを編集
高校コード 02104A
所在地 038-0058
青森県青森市大字羽白字富田80番7号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

歴史
1941年昭和16年)創立の青森市立第一中学校(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名になったのは1969年(昭和44年)。長く男子校であったが、1984年(昭和59年)4月より男女共学を開始。また2000年平成12年)にスポーツ科学科を新設し、現在に至る。2011年(平成23年)に創立70周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
校訓
「自治・協和・日進 」
校章
「高」の文字を「北」の文字で左右からはさんだデザインとなっている。
校歌
作詞は斉藤真一、作曲は小野政一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「北高」が登場する。
分校
今別校舎(全日制課程 普通科)- 〒030-1502 青森県東津軽郡今別町大字今別字西田258

沿革 編集

旧制中学校時代
  • 1941年(昭和16年)
    • 3月18日 - 文部省により「青森市立第一中学校」の設立が認可される。
      • 尋常小学校国民学校初等科)を卒業した12歳以上の男子を入学資格とする。
      • 修業年限を5年(現在の中1から高2)、定員を500名(1学年あたり100名)とする。
    • 3月20日 - 青森市浦町字橋本に仮校舎を設置し、第1学年生徒100名の募集を開始。
    • 4月1日 - 初代校長に神精一が任命される。
    • 4月3日 - 第1回入学式を挙行。106名が入学。
    • 4月25日 - 開校記念式典を挙行。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 2月24日 - 生徒定員を1000名に増員。
    • 4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
  • 1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月28日 - 動員先の神奈川県において第1回卒業式を挙行。97名が卒業。
      • 本来、1941年(昭和16年)入学生は中等教育令が施行される前に入学したため修業年限は5年、1946年(昭和21年)3月卒業予定であったが、教育ニ関スル戦時非常措置方策により修業年限4年が前倒しで施行されることとなった。
    • 4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
    • 7月28日 - 青森大空襲により青森市の大部分が焦土と化す中、校舎が無事残る。
    • 8月 - 終戦。
    • 9月 - 授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校の3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校青森市立第一高等学校」(男子校)が発足。
      • 通常制普通課程を設置。修業年限を3年とする。
      • 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校を継承し(名称:青森市立第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 4月15日 - 新制高等学校開校式を挙行。定員を600名とする。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
  • 1956年(昭和31年)10月 - 同窓会より校旗が寄贈される。
  • 1961年(昭和36年)9月18日 - 創立20周年を記念して一高会館が完成。
  • 1962年(昭和37年)8月12日 - 第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科に改称。
  • 1965年(昭和40年)
    • 9月30日 - PTAの寄付により、青森市陸上競技場スポーツハウスが完成。
    • 10月29日 - 新管理棟が完成。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 青森県に移管され「青森県立青森北高等学校」(現校名)に改称。
  • 1970年(昭和45年)3月7日 - 新校歌・新校章・新校旗を制定。
  • 1972年(昭和47年)9月9日 - 生徒会館「青雲会館」が完成。財団法人青森県立青森北高等学校奨学会が設立される。
  • 1977年(昭和52年)9月3日 - 生徒会部室「とねりこ会館」が完成。
  • 1978年(昭和53年)8月10日 - 第60回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2度目の出場。
  • 1982年(昭和57年)6月15日 - 青森市大字羽白字富田80番7において新校舎の建設が開始。
  • 1983年(昭和58年)3月29日 - 第55回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に初出場。
  • 1984年(昭和59年)
  • 1985年(昭和60年)
    • 1月21日 - 生徒会館室「朋友会館」が完成。
    • 4月1日 - 65分授業を開始。
  • 1986年(昭和61年)7月21日 - 生徒会館「習北会館」が完成。
  • 1989年(平成元年)3月30日 - 相撲道場が完成。
  • 1991年(平成3年)10月12日 - 創立50周年記念式典を挙行。野球場の整備、大型バスの購入等が行われた。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 大学進学率向上対策事業指定校となる。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 男女別枠の定員が撤廃となる。
  • 1998年(平成10年)
  • 2000年(平成12年)4月1日 - スポーツ科学科(1学級)を新設。
  • 2001年(平成13年)
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 青森県立今別高等学校を統合し、今別校舎(分校)とする。
  • 2019年4月1日 - 今別校舎(分校)の募集を最後に停止。
  • 2022年3月31日 - 今別校舎(分校)の閉校予定。

部活動 編集

ラグビー部は全国高等学校ラグビーフットボール大会の強豪として知られ、1998年の第77回大会1回戦(対坂出工高)では122対0の大会史上最多得点を記録している。また2003年には大阪工大高に敗れたものの、県勢初の8強まで進んでいる。

著名な出身者 編集

交通アクセス 編集

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集