鰭ヶ崎駅

日本の千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後にある流鉄流山線の駅

鰭ヶ崎駅(ひれがさきえき)は、千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後にある、流鉄流山線である。駅番号はRN4

鰭ヶ崎駅
北西側出入口(2021年6月)
ひれがさき
Hiregasaki
RN3 小金城趾 (0.8 km)
(1.5 km) 平和台 RN5
地図
千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後1438番地3
北緯35度50分27.9秒 東経139度54分39秒 / 北緯35.841083度 東経139.91083度 / 35.841083; 139.91083座標: 北緯35度50分27.9秒 東経139度54分39秒 / 北緯35.841083度 東経139.91083度 / 35.841083; 139.91083
駅番号 RN4
所属事業者 流鉄
所属路線 流山線
キロ程 3.6 km(馬橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
596人/日(降車客含まず)
-2019年[1]-
乗降人員
-統計年度-
1,153人/日
-2019年[1]-
開業年月日 1916年大正5年)3月14日[2]
備考 駅員配置駅
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南西側出入口(2021年6月)
駅ホームより馬橋方面を望む(2021年6月)
駅ホームより流山方面を望む(2021年6月)
改札口(集札のみ実施)(2021年6月)

駅名は「鰭崎」だが、地名は「鰭崎」である。

歴史 編集

 
1974年の鰭ヶ崎駅(右上)付近。中央は国鉄南流山駅(1974年撮影、国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

当駅は、その名前の由来が9世紀平安時代)の伝説にまで遡る「鰭ケ崎」集落内に位置する。1980年頃まではこの付近一帯において唯一民家の集まる立地であった。

駅構造 編集

単式1面1線単式ホームを持つ地上駅である。ホームと駅舎は線路の西側に設置されている。駅舎には改札口(集札のみ実施)・出札口自動券売機が設置され、駅出入口は駅舎の北西側と南側の2箇所あり、北西側出入口はスロープとなっていて小さな駅前広場があり、南流山・鰭ヶ崎団地方面につながる道路に接続している。

利用状況 編集

2020年(令和元年)度の一日平均乗車人員は470人である[3]

  • 流鉄6駅中最下位。周辺団地の初期入居世代(1970年代、後述)の高齢化[4]及び近隣路線への移乗から、1992年をピークとして長期低落傾向にあり、2007年にそれまで最下位であった小金城趾駅を下回った。
  • 1975年4月駅付近に流山市立鰭ヶ崎小学校が開校するまでは小学生の通学利用もあった。1969年時点で現在の一日平均乗車人員の約半数にもなる約400名[5](定員は2両編成で280名程度)が通学利用していて非常に混雑し、時差通学が実施されていたほどである。
  • 南西約0.9キロメートル(km)の場所に国鉄南流山駅が開業したのは1973年4月1日首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業・同駅乗り入れは2005年8月24日である。同駅各線への移乗があると見られている。詳しくは流鉄流山線の項目を参照。

近年の1日平均乗車人員は下記の通り。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
備考
1990年 2,132
1991年 2,113
1992年 2,145
1993年 2,130
1994年 2,031
1995年 1,998
1996年 1,898
1997年 1,793
1998年 1,715
1999年 1,630
2000年 1,563
2001年 1,511
2002年 1,437
2003年 1,466
2004年 1,351
2005年 1,149 TX開業
2006年 934
2007年 845 売店閉鎖
2008年 813
2009年 713
2010年 694 ワンマン化
2011年 660
2012年 654
2013年 671
2014年 648
2015年 630
2016年 606
2017年 599
2018年 597
2019年 596
2020年 470 新型コロナウイルス感染症

駅周辺 編集

 
大字鰭ケ崎字塚ノ腰台周辺

古代から人の住んだ地域でもあり、埋蔵文化財も多い。南側では千葉県道280号白井流山線が走り、駅と小規模飲食店や商店が隣り合っている一方、北側には商店のほか農地や森林などもある。北西側も古くからの農地や森林が広がる地区が残っていたが、一部区域が西平井・鰭ケ崎地区土地区画整理事業ならびに運動公園周辺地区土地区画整理事業区域となっている。これに伴い、鰭ヶ崎三本松古墳や思井の森などの貴重な文化・自然遺産の多くが破壊されてしまった。

住宅団地 編集

駅東方には1970年代までに造られた一戸建ての住宅団地・鰭ヶ崎団地が広がり、北東方には1967年開設[6]の東洋学園大学流山キャンパスと1975年に分譲開始された一戸建ての住宅団地・宮園団地(東急不動産)が、南西方には1969年から始まり1980年代までに建物が立ち並ぶようになった南流山の土地区画整理事業地が広がる。

主な施設等 編集

 
東洋学園大学 流山校舎
  • 南流山駅東日本旅客鉄道首都圏新都市鉄道) - 徒歩約15分ほどの距離にある[2]
  • 首都圏新都市鉄道鰭ヶ崎変電所
  • 東洋学園大学流山キャンパス (2016年4月以降、大学教育には利用されていない[7])
  • 流山市立鰭ケ崎小学校
  • 流山鰭ヶ崎郵便局
  • 千葉愛友会記念病院(2008年9月1日に流山総合病院から改称[8]
  • 山﨑オフィス - アップフロントグループ大株主。関連会社の登記上の本店が複数同居する。
  • ちばコープ(コープ南流山)
  • マルエツみやぞの店
  • 京北スーパー鰭ヶ崎店
  • 東福寺 - 空海が西暦814年に開山したと伝えられる寺院[9]。鰭ヶ崎の地名の由来となる「が背鰭の先(崎)を残した」という伝説がある。左甚五郎作彫刻「目つぶしの鴨」、延命地蔵、金剛力士像などがある[10]
    • 千仏堂 - 市指定文化財の千体仏を安置[10]
  • 鰭ヶ崎三本松古墳 - 前方後円墳[10]古墳時代の有力者の墓とされる。江戸時代後期にこの古墳に建てられた石碑には、天明の飢饉の時に盗掘で飢えを凌ごうとした村人がいたが、名主がこれをやめさせ私財を投じて農民を飢えから救ったと記されている。それ以来発掘調査などは行われてこなかったが、区画整理事業に伴い2015年ごろから発掘調査が行われた。
  • 思井の森 - 照葉樹林と雑木林が混じる斜面林で、オオタカが時折飛来する自然豊かな地区。熊野神社(八木郷八村の鎮守)が鎮座。
  • 雷神社(いかづちじんじゃ) - 鰭ヶ崎おびしゃ行事は市指定無形民俗文化財[10]

隣の駅 編集

流鉄
  流山線
小金城趾駅 (RN3) - 鰭ヶ崎駅 (RN4) - 平和台駅 (RN5)

脚注 編集

  1. ^ 令和2年版流山市統計書 (PDF) 11 運輸・通信の章を参照
  2. ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日、24,26頁。 
  3. ^ 千葉県統計年鑑
  4. ^ 「鰭ヶ崎区域では,子供の数が減り始め高齢者が多くなっている」(流山市地域別ワークショップ市民版検討集南部地域)
  5. ^ 鰭ヶ崎小学校
  6. ^ 東洋学園大学沿革
  7. ^ 東洋学園大学 沿革(2016年 本郷キャンパスへの統合)
  8. ^ AMGについて|上尾中央医科グループ グループ沿革
  9. ^ 東福寺(流山市)
  10. ^ a b c d 流山100ヶ所めぐり

関連項目 編集

外部リンク 編集