鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令

1951年に制定された日本の政令

鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令(かごしまけんおおしまぐんとしまむらのくいきにてきようされるべきほうれいのざんていそちにかんするせいれい、昭和26年12月21日政令第380号)は、第二次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)以降アメリカ合衆国統治下にあった北緯30度以南(口之島を含む[注釈 1])、北緯29度以北の吐噶喇列島日本国本土復帰するのに伴い法令の暫定措置を定めた日本の政令連合国軍占領下の日本におけるポツダム命令の一つ[1][2]

鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令
日本国政府国章(準)
日本の法令
法令番号 昭和26年12月21日政令第380号
種類 法令通則、行政法
効力 失効
公布 1951年12月21日
施行 1951年12月21日
主な内容 吐噶喇列島本土復帰に伴う法令適用の暫定措置
関連法令 若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書(SCAPIN-677)
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件
制定時題名 昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令
条文リンク 御署名原本
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昭和27年4月11日政令第103号による改正前の題名は『昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令』(しょうわにじゅうろくねんじゅうにがつごにちづけれんごうこくさいこうしれいかんおぼえがきじゃっかんのがいかくちいきのにほんからのせいじじょうおよびぎょうせいじょうのぶんりにかんするけんにともなうかごしまけんおおしまぐんじゅっとうむらにかんするざんていそちにかんするせいれい[注釈 2])。

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律(昭和27年法律第81号)の施行により、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)の効力発生日である1952年(昭和27年)4月28日から同年10月24日までは法律としての効力を有していたが[3]10月25日に失効した[4][5]

内容 編集

 
地図中の屋久島奄美大島の間に点在する島々が吐噶喇列島である

第二次世界大戦の敗戦によって北緯30度線が島内を通る口之島の全域を含む北緯30度以南の区域がアメリカ合衆国の軍政下におかれることとなり[6][7]1946年(昭和21年)2月2日にアメリカ合衆国統治下となった時点では吐噶喇列島の区域について従前適用されていた法令をなお適用することとなっていた[8]

アメリカ合衆国統治下時代には行政組織に関する法令、刑事法の改正等は行われていたが、民事法の改正が行われておらず、アメリカ合衆国統治下にあった6年の間に日本において改正が行われている旧民法や旧戸籍法がそのまま適用されたままとなっているほか、その間に新たに施行された法令については当然に適用されていない状態であった[9]

SCAPIN677/1 編集

1951年(昭和26年)12月5日連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN677/1)を日本国政府に対して以下の内容で送付した[10]。これにより吐噶喇列島の本土復帰が決定した[11][12]

宛先:日本政府
件名:若干の外かく地域を政治上行政上及び行政上日本から分離することに関する覚書
一、関係覚書
a 昭和二十一年一月二十九日日本政府に対する覚書AG091(SCAPIN677)「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」
b 昭和二十一年三月二十二日日本政府に対する覚書AG091(SCAPIN841)「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」
二、上掲覚書によつて改められた上掲覚書aの第三項を更に改めて、北緯二十九度以北の琉球(南西)諸島は、該指令の目的から日本として定義される地域の中に包含されるものとする。
三、日本政府は、これらの島に対して、連合国最高司令官の権限の下におかれることを條件として、政治上、行政上の管轄権を回復することを指令せられる。

政令の公布・施行 編集

 
口之島の地図と北緯30度線。口之島の陸上を北緯30度線が通るため条文上では「口之島を含む」と記載される。

上記のGHQの覚書により、北緯30度以南(口之島含む)北緯29度以北にあたる吐噶喇列島(現在の鹿児島県鹿児島郡十島村[注釈 3])は、1952年(昭和27年)2月4日本土復帰することとなり、それに伴い法令の暫定措置を定めるため、『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件』(昭和20年勅令第542号)に基づく「昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令」として施行された[2]

内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、この政令を制定する。

1  鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)については、他の法令の規定にかかわらず、当分の間、政令で特別の定をするものを除く外、従前その区域に適用されていた法令のみをなお適用するものとする。この場合において、これらの法令の実施上琉球諸島民政府又はその機関に属していた権限でその区域にあつた機関に属していたもの以外のものは、国会及び裁判所の権限に属するべきもの並びに政令で定める場合を除く外、鹿兒島県知事が行うものとし、その区域で従前公務に従事していた者は、相当の公務員となるものとする。

2 前項の規定により鹿兒島県知事が行う権限は、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)の適用については、国の機関としての権限とみなす。

3 この政令施行の際限にその職にある鹿兒島県大島郡十島村の村議会の議員、村長、助役その他任期の定のある職員で政令で定めるものは、他の法令の規定にかかわらず、政令で定める日まで在職する。

4 前項に規定する職員の退職に因る選挙の選挙人名簿の調製その他必要な措置については、他の法令の規定にかかわらず、政令で特別の定をすることができる。

5 前各項に定めるものを除く外、昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」を実施するため第一項に規定する区域について必要とされる経過措置は、政令で定める。

法の適用 編集

本土復帰した吐噶喇列島の区域について上記の規定により、政令で特に定めるもの以外については従前その区域に適用されていた法令を適用することとなった[1]。この措置は短期間とはいえ異なる法域にあった吐噶喇列島の区域に対して日本国の法令を一挙に適用することにより混乱が生ずるのを防ぎ、法制の移り変わりをスムーズにするために行われたものである[9]

第1項において、琉球諸島民政府又はその機関に属していた権限で従前の十島村の区域にある機関・国会裁判所に属するものや政令で定める場合を除く権限について鹿児島県知事が行使することが定められ、また、従前の十島村の区域で公務に従事していたものは日本国における相当の公務員とする旨が定められた。第2項において地方自治法の適用について鹿児島県知事が行う権限は国の機関とみなされる旨が規定された[14]

十島村の設置 編集

 
地図中の黒い線は1946年までの十島村の区域であり、政令の施行により北緯30度以南(地図中の赤い線)の区域を以て十島村が新たに設置され、以北の区域が三島村となった

第1項前段及び第5項の規定に基き制定された委任命令である「鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」(昭和27年政令第13号)が1952年(昭和27年)2月10日に施行されたのに伴い、それまで従前の法令である市町村制(1949年臨時北部南西諸島政庁令第21号)が施行されていた十島村に対し、第1項の規定に基づいて地方自治法(昭和22年法律第67号)が適用され、地方自治法による地方自治体である鹿児島県大島郡十島村が新たに設置された[15][16][17]

1 鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)に地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)及びこれに基く命令を適用する。この場合において、この政令施行の際現にその区域に適用されている法令の規定によりその区域に置かれている村は、その区域をもつて、地方自治法の規定による鹿兒島県大島郡十島村となるものとする。

また、従前の十島村の条例及び規則等は日本国の法令または鹿児島県の条例に反しないものに限り新たに設置された十島村の条例及び規則等となった[16]。これに従い十島村は日本法である地方自治法の規則に基づき、条例や規則の整備を実施した[18]

通貨の交換 編集

第1項前段及び第5項の規定に基き制定された委任命令である「鹿兒島県大島郡十島村に関する通貨、預金、債権等の管理の経過措置等に関する政令」(昭和27年政令第14号)によりそれまで吐噶喇列島において流通していたB円軍票日本円に交換されることとなった[19]。同政令第6条の規定により1B円につき3日本円に交換された[20]

行政機関の移管 編集

日本国へ復帰直前の十島村には、警察機関として名瀬地区警察署口之島巡査部長派出所、中之島巡査駐在所、宝島巡査駐在所が設置されており、郵便局として琉球臨時中央政府郵政局の中之島郵便局、口之島郵便局、宝島郵便局が設置されていた[21]

警察機関は「鹿兒島県大島郡十島村に関する警察関係法令等の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」(昭和27年政令第17号)によって国家地方警察鹿児島県本部鹿児島地区警察署の管轄となり、法令で定める警察官の定員の外に前述の政令の規定によって警察官の定員について11名と定められた[注釈 4][23]。郵便局は「鹿兒島県大島郡十島村に関する郵政事業及び電気通信業務の暫定措置に関する政令」(昭和26年政令第381号)によって日本国政府の郵政省電気通信省に引き継がれた。

沿革 編集

 
昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令の御署名原本国立公文書館所蔵)

委任命令 編集

鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令(改題前の昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令を含む)第1項前段及び第5項の規定により制定された委任命令である政令は以下のとおりである(各政令のリンク先はウィキソースの項目である)。

政令の廃止と経過措置 編集

日本国との平和条約(所謂「サンフランシスコ平和条約」)の締結に伴い、ポツダム命令を廃止する法律である「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(昭和27年4月11日法律第81号)が1952年(昭和27年)4月28日より施行されることとなった。法律では第2項に「別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有するものとする」と定められ、第3項では「この法律は、勅令第五百四十二号に基く命令により法律若しくは命令を廃止し、又はこれらの一部を改正した効果に影響を及ぼすものではない」と定められた。

ポツダム命令として制定された「鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令」については法律で廃止又は存続の措置が行われなかったため、規定に基づき法律の施行日から180日を経過する日までは法律としての効力を有することとなったが[3]、180日を経過した1952年(昭和27年)10月25日を以てその効力を失うこととなった[4][5]

この法律が施行される時点で法律的処理が完了していないものがあったことからポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律附則第2項に基づき経過措置を定められることとなり[39]、「鹿児島県大島郡十島村の区域に関する法令の適用の経過措置に関する政令」(昭和27年政令第446号)が施行され、経過措置が定められたほか、第2項において森林法により鹿児島県知事への届出及び鹿児島県知事の許可が必要な行為に対する経過措置、第3項においてたばこ専売法、塩専売法、しょう脳専売法により日本専売公社の許可が必要なものについて営業等の経過措置が定められた[40]

関連する法令 編集

第二次世界大戦によりアメリカ合衆国統治下となり、本土復帰した地域で施行された同様の法令として、奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律(昭和28年法律第267号)、小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律(昭和43年法律第83号)、沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律(昭和46年法律第129号)がある。

本土復帰に伴い発生した問題点 編集

本土復帰を果たした十島村であったが、北緯29度以南の奄美群島は引き続きアメリカ合衆国統治下であったことから行き来が出来なくなったほか、また翌年に奄美群島が本土復帰した際には奄美群島振興開発特別措置法(昭和29年6月21日法律第189号)が制定され、北緯29度以南の奄美群島では振興策が取られたが、1年早く復帰した十島村はその対象とならず整備が大きく立ち遅れたと日本放送協会の取材に対して十島村村長である肥後正司は回答しており[41][42]2022年(令和4年)に十島村が挙行した本土復帰70周年式典においても「沖縄県や奄美群島、小笠原諸島のような復帰後の振興をはかる特別措置法が、村には設けられなかったことを「大きな格差」と指摘した[43]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 北緯30度線口之島の北部を通っていることから、北緯30度以南としてしまうと口之島の島内で日本の行政権が及ぶ区域とアメリカ合衆国統治下となる区域に分割されてしまうため、口之島全体をアメリカ合衆国統治下に含めるために「口之島を含む」という表現がなされる。SCAPIN-677や本政令の委任命令及びその他法令でも同様の表記がされる。
  2. ^ 英語版官報[1] では、Jutto-muraと表記されている
  3. ^ 十島村は1973年(昭和48年)4月1日に大島郡から鹿児島郡の所属に変更されている[13]
  4. ^ 1952年12月の旬刊時の法令解説81号には「十島村警察」の定員が11名と記載がある[22]

出典 編集

  1. ^ a b 法令普及会 1952a, p. 43.
  2. ^ a b c 十島村誌編集委員会 1995, p. 1124.
  3. ^ a b c 衆議院法制局 1952, p. 6.
  4. ^ a b c 日本評論社 1957, p. 3.
  5. ^ a b 法令普及会 1952d, p. 24-25.
  6. ^ a b 鹿児島県 1967, p. 112.
  7. ^ a b 十島村誌編集委員会 1995, p. 767.
  8. ^ 法令普及会 1952b, p. 13.
  9. ^ a b 法令普及会 1952b, p. 14.
  10. ^ a b   若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書 (SCAPIN677/1)』連合国最高司令官総司令部、1951年12月5日。ウィキソースより閲覧。 
  11. ^ 吐噶喇列島の日本復帰”. 鹿児島県. 2022年6月19日閲覧。
  12. ^ a b 十島村誌編集委員会 1995, p. 774.
  13. ^   郡の区域変更(昭和47年自治省告示第298号、昭和47年11月29日付官報第13780号所収)
  14. ^ 法令普及会 1952a, p. 43-44.
  15. ^ a b 鹿児島県 1967, p. 110.
  16. ^ a b 法令普及会 1952b, p. 16.
  17. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1124-1125.
  18. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1128.
  19. ^ a b c 皆村武一 2006, p. 83.
  20. ^ a b 法令普及会 1952b, p. 18.
  21. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 775.
  22. ^ 法令普及会 1952e, p. 34.
  23. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1246.
  24. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1123.
  25. ^ a b 法令普及会 1952b, p. 12.
  26. ^ 吐噶喇列島の日本復帰”. 鹿児島県. 2022年6月19日閲覧。
  27. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 773.
  28. ^   昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令』日本国政府〈官報〉、1951年12月21日。ウィキソースより閲覧。 
  29. ^ 鹿児島県 1967, p. 109.
  30. ^ a b 法令普及会 1952b, p. 15.
  31. ^ 十島村略年表”. 十島村. 2022年6月19日閲覧。
  32. ^ 三島村誌編纂委員会 1990, p. 328.
  33. ^   村の境界変更』総理府、1952年5月14日。ウィキソースより閲覧。 
  34. ^ 『通貨関係法規集』大蔵省理財局、303頁。doi:10.11501/1345194 
  35. ^ 法令普及会 1952c, p. 53.
  36. ^   鹿児島県大島郡十島村の区域に関する法令の適用に関する政令』日本国政府、1952年3月31日。ウィキソースより閲覧。 
  37. ^   昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿児島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令の一部を改正する政令』日本国政府。ウィキソースより閲覧。 
  38. ^   鹿児島県大島郡十島村の区域に関する法令の適用の経過措置に関する政令』日本国政府、1952年10月24日。ウィキソースより閲覧。 
  39. ^ 佐藤達夫 1953.
  40. ^ 法令普及会 1952d, p. 44.
  41. ^ 離島の村 人口減少との戦い人口増加に転じるまでに”. 日本放送協会. 2022年6月19日閲覧。
  42. ^ 鹿児島県十島村 沖縄本土復帰と“もうひとつの日本復帰””. 日本放送協会 (2022年5月17日). 2022年6月19日閲覧。
  43. ^ 奥村智司 (2022年2月14日). “鹿児島・十島村が本土復帰70年 戦後「国境の島」、苦難の歩み”. 朝日新聞. 2022年6月19日閲覧。

参考文献 編集

  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』46号、大蔵省印刷局、1952年1月。doi:10.11501/1403193 
  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』50号、大蔵省印刷局、1952年2月。doi:10.11501/1403197 
  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』57号、大蔵省印刷局、1952年4月。doi:10.11501/1403128 
  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』79号、大蔵省印刷局、1952年11月。doi:10.11501/1403151 
  • 法令普及会 編『旬刊時の法令解説』81号、大蔵省印刷局、1952年12月。doi:10.11501/1403153 
  • 『ポツダム命令一覧 : 部門別五十音順別』衆議院法制局、1952年。doi:10.11501/1345788 
  • 佐藤達夫 著、良書普及会 編『ポツダム命令についての私録』1953年。doi:10.11501/3005356 
  • 日本評論新社法律時報編集部 編『法令改廃総覧 1956年版』日本評論社、1957年。doi:10.11501/1343612 
  • 鹿児島県 著、鹿児島県総務部参事室 編『鹿児島県市町村変遷史』1967年。 
  • 三島村誌編纂委員会『三島村誌』三島村、1990年。 
  • 十島村誌編集委員会『十島村誌』十島村、1995年。 
  • 皆村武一『村落共同体 崩壊の構造』南方新社、2006年。ISBN 4-86124-078-6 

関連項目 編集

外部リンク 編集