産経新聞
| 産經新聞 | |
|---|---|
| 種類 | 日刊紙 |
| サイズ | ブランケット判 |
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| 事業者 | 株式会社産業経済新聞社 |
| 本社 | 〒100-8077東京都千代田区大手町一丁目7-2 東京サンケイビル 〒556-8660大阪府大阪市浪速区湊町二丁目1-57 難波サンケイビル 〒810-0004福岡県福岡市中央区渡辺通五丁目23-8 サンライトビル |
| 代表者 | 熊坂隆光 |
| 創刊 | 1942年(昭和17年)11月1日 |
| 前身 |
大阪新聞 (1923年6月1日-2002年3月30日) 日本工業新聞 (1933年6月20日-1942年10月31日) 時事新報 (1946年1月1日-1955年10月31日) 産経時事(東京本社版の旧名) (1955年11月1日-1958年7月10日) |
| 言語 | 日本語 |
| 価格 | 1部 (朝刊)100円 (夕刊)50円(大阪本社版のみ発行) 月極 (東京本社版、朝刊のみ)2,950円 (大阪本社版、朝夕刊セット)3,925円 (大阪本社版、朝夕統合)2,950円 (九州・山口県版、朝刊のみ)3,000円 (産経Netview=電子版)420円 |
| 発行数 | (朝刊)約161万部 (夕刊)約54万部 |
| ウェブサイト | http://sankei.jp.msn.com/ |
産経新聞(さんけいしんぶん、題字は産經新聞)は産業経済新聞社が発行する日本の新聞。大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。キャッチフレーズは「モノを言う新聞」。
歴史
- 1933年(昭和8年)6月20日 ‐ 夕刊大阪新聞社から『日本工業新聞』として大阪市で創刊。
- 1942年(昭和17年)11月1日 ‐ 新聞統制で愛知県以西の産業経済専門紙を統合して『産業經済新聞』となる。
- 1950年(昭和25年)3月1日 ‐ 東京でも印刷・発行を開始。紙面を経済紙から一般紙に変更し、全国紙としての基礎を固める。
- 1951年(昭和26年)1月1日 ‐ 『世界経済新聞』(1946年東京で『世界日報』として創刊。1948年に改題)を東京発行の『産業経済新聞』に合同。
- 1952年(昭和27年)2月 ‐ 『週刊サンケイ』創刊。
- 1953年(昭和28年)6月 - 東京で夕刊の発行を開始。
- 1955年(昭和30年) ‐ 東京発行の『産業経済新聞』が『時事新報』を合同し、『産經時事』に改題。国有地払い下げで取得した東京都千代田区大手町に東京本社ビルを完成。
- 1956年(昭和31年)3月 - 大阪で夕刊の発行を開始。
- 1958年(昭和33年)7月11日 ‐ 東京発行の『産経時事』を『産經新聞』に改題[1]。
- 1959年(昭和34年) ‐ 大阪発行の『産業経済新聞』を『産經新聞』に改題(東西で異っていた題号を『産經新聞』に統一[1])。
- 1964年(昭和39年) ‐ サンケイスカラシップをフジテレビジョンなどと共に創設し、海外留学生派遣事業を支援した。1989年(平成元年)、この事業は終了。
- 1967年(昭和42年) ‐ フジテレビジョン、ニッポン放送、文化放送とともにフジサンケイグループを結成する。
- 1969年(昭和44年)5月 ‐ 題号を『サンケイ』に改題(正式名称は産業経済新聞のまま 但し、欄外の題字と社旗は1962年2月1日付けに先行で「サンケイ(新聞)」のカタカナ題号を使用開始している)
- 1973年(昭和48年)12月 ‐ サンケイ新聞事件が起こる。
- 1986年(昭和61年)
- 1988年(昭和63年)5月28日 ‐ 題号を再び漢字の『産經新聞』(正式名称は産業経済新聞のまま)に戻し、全国紙初の本格的カラー紙面を採用する。
- 1991年(平成3年)1月 ‐ 漫画新聞『コミックサンケイ』発刊。
- 1992年(平成4年)7月 ‐ 鹿内宏明会長、解任。いわゆる「産経クーデター」。
- 2002年(平成14年)3月30日 ‐ 東京本社版の夕刊が廃刊され、同年4月1日より東京で発行される全国紙としては史上初の朝刊単独紙に移行した。大阪本社版は東京夕刊廃刊と同日に廃刊になった大阪新聞と紙面統合し、朝夕刊セット(京阪神通勤圏のみ)を継続している。
- 2004年(平成16年)12月1日 ‐ 大阪新聞と統合。
- 2005年(平成17年)8月8日 ‐ 大阪本社が浪速区湊町二丁目の難波サンケイビルに移転。
- 2007年(平成19年)10月 ‐ マイクロソフト運営ポータルサイトMSNと提携し、「MSN産経ニュース」開始。
- 2008年(平成20年)12月11日 ‐ 産経新聞社が九州・山口県への販路拡大を目的に、毎日新聞西部本社の工場(佐賀県鳥栖市)で産経新聞の委託印刷を翌年10月から行うことで毎日新聞社と基本合意。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)7月26日 - 本文のフォントを変更。全体的に太いフォントを採用した。産経新聞グループの紙面全体の数字や、ラ・テ欄の時間表記も変わっている。
- 2011年(平成23年)
論調
日本の全国紙の中では保守的な論調を取る新聞とされる[3]。アメリカ合衆国との集団的自衛権保持の必要性[4]や日本共産党には批判的[5]な論説を社説「主張」で掲げ、「正論」路線を取る親米保守[6]・反共主義・反憲法主義[7]。これは1958年に『産経時事』から『産経新聞』へ改めた際の経緯が関係する(#「正論」路線と『主張』『正論』欄を参照)。
アメリカ合衆国
共和党を無批判に支持し民主党の論評には反発[要出典]、日米同盟の重要性を主張[8][9][10]し、これを見直す動きについて懸念を表明している[11][12]。また、日米関係を重視する識者の寄稿を掲載することもある[13]。イラク戦争については、「(イラク・フセイン政権の)大量破壊兵器の廃棄を目指す戦争」という米国の主張を概ね支持したが、その後フセイン政権が倒れ大量破壊兵器の発見が絶望的になると、「戦争に大義や正義を主張するのは無意味」と主張をしている。普天間飛行場の移設問題については、小泉内閣時代の2006年に合意された「名護市辺野古への移設」の履行を強く求めている。
詳細は「普天間基地代替施設移設問題」を参照
中華人民共和国
中国共産党を「北京」と呼称する事がある点が特徴である。文化大革命期に共同通信社を皮きりに他紙が次々と国外追放される中、朝日新聞のみが中国国内に残り、以降、産経を除く他社は中国当局の台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した。これとは対照的に、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、結果として1967年に柴田穂記者が国外追放されて以降は、北京への特派員常駐を認められなかった[14]状態で、日本の新聞で最も早く林彪の死亡推測記事を伝える[15]など、むしろ政治的には中国を詳しく報道することとなった。以後、1998年までの31年間、北京に支局を置くことがなかった。1998年に、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開した。産経新聞がこうして中国の支局を再設置した結果、マスコミ他社もそれに倣って同じ条件で台湾に支局を開局することとなった[16]。
中華民国(台湾)
蒋介石支持で古くから知られ、国民党政権時代は、日本で最も親中華民国の新聞として知られていたが、日中国交回復の頃からその傾向をいっそう強め、1974年8月15日から蒋介石秘録の連載(~1976年12月25日)を開始。鹿内信隆は、介石の後継として中華民国総統に就任した息子・経国と会談した際に、介石の日本への恩を忘れないようにとの思いでフジサンケイグループとして箱根彫刻の森美術館に父親の威徳を讃える「中正堂」を建立したと述べている[17]。
鹿内信隆社長時代には国民党政権を支持する立場から、日本軍による中国での虐殺行為を肯定する記事やコラムを多数掲載していた[18]。また、鹿内自身が慰安所の設置運営に関与した事を認めていた[17]。
朝鮮半島
冷戦時代には、反共・親米保守の立場から韓国の朴正煕政権を支持した(もっとも、1980年代後半からの韓国の民主化などにより、それまで韓国に対して距離を置いていた新聞も好意的な記事を書くようになったことにより、現在の産経新聞は他の新聞に比べて特別韓国寄りであるというわけではない)。北朝鮮に対しては拉致事件を逸早く報道。1996年に“北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)”というような、正式呼称を併置した表現を廃止し、このことで朝鮮総聯から抗議を受けたがその方針を貫いた。その後2002~03年にかけて全国紙やテレビからも正式呼称が消え「北朝鮮」のみの呼称となり、産経はこの呼称の先駆けとなった。最近では単に「北」という表記も使用している。2006年4月には加藤雅己常務が共同通信加盟社の旅行団メンバーとして北朝鮮へ渡った。
1988年3月26日、参議院予算委員会において当時国家公安委員長であった梶山静六が、日本共産党橋本敦議員の質問に答えて日本海側から消えている日本人は、「北朝鮮による拉致の可能性がある」と国会ではじめて答弁した。このことを当時、新聞紙面で報道したのは共産党機関紙『赤旗』と一般全国紙は、産経新聞のみであった[19]。
中東諸国
中東問題では、社説などでイスラエル寄りの主張を行っている。パレスチナ自治区のイスラム原理主義組織「ハマース」に「イスラエルの存在を認めるべきだ」という旨を主張したり、パレスチナの国連加盟申請を「中東和平の阻害になる恐れがあり、イスラエルとの直接交渉こそすべきである」というアメリカの主張に沿った主張をしている[20]。2008年末にガザ紛争が勃発した際には、駐日イスラエル大使であるニシム・ベン=シトリットの「紛争の責任はハマースにある」という旨の独占インタビューを掲載した。
原子力発電
原子力発電推進の広報部門の事業を請け負い、電通や博報堂などと合計で毎年60億円を業界団体から受けている[21]。また、福島第一原子力発電所事故発生以降も原子力発電の推進を主張している[22]。
注目を集めた報道・スクープ、議論を呼んだ報道、疑義が持たれた報道・スキャンダル、批判を受けた報道
詳細は「産経新聞の報道」を参照
近年の動向
2011年7月~12月平均の発行部数は、朝刊が約160万8千部、夕刊が約53万6千部[23]であり、『読売新聞』(約996万部)、『朝日新聞』(約771万部)、『毎日新聞』(約342万部)、『中日新聞』(東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井を含めて約335万部)、『日本経済新聞』(約301万部)、『東京スポーツ』(中京スポーツ、大阪スポーツ、九州スポーツを含めて約223万部)に次ぐ業界7位。購読者は90%以上が東京本社版では関東・静岡地区、大阪本社版では近畿地区にそれぞれ集中している[24]。
2007年9月1日までに、リストラの一環として行われた総支局の統合、撤退に伴い東京本社管内の県域版を廃止し、「首都圏・静岡版」「北関東版」「東北版」「甲信越版」にそれぞれ統合し、東京本社管内に於いての実質的な“県版”は廃止された(首都圏・静岡版は2009年2月11日より県域版が復活し各都県版に分けられた)。また大阪本社管内の中国地方と四国地方の県域版も「中四国版」に統一された。発行拠点のない地域では、直売所以外にブロック紙の販売店を通じて委託販売するなどしてカバーしている。
2009年2月から、全社員の約5%削減を目標として、早期希望退職者の募集を開始[25][26]、北京駐在の福島香織記者など多くの社員が応募した。2010年1月には“社歴10年以上で40代”の社員に対しても早期退職勧奨を開始[27]。
幸福実現党関連の記事、連載、広告が産経新聞や系列メディアに掲載される傾向がある。2009年6月24日、夕刊フジに大川きょう子(当時党首)のインタビュー記事を掲載[28]、2009年8月2日、大川きょう子(宣伝局長となった)と田母神俊雄の対談記事が全面広告として掲載された。2010年1月28日から夕刊フジに初代党首の饗庭直道(当時広報本部長代理)の連載コラム「いざ!幸福維新」がスタートした[29]。これは党女性局長の竜の口法子[30]に引き継がれて現在も連載が続いている。また、フジサンケイ ビジネスアイ、SankeiBizにも石川悦男(当時党首)のコラムが2010年2月から毎週掲載されていた。2010年7月の党首交代で、現在はついき秀学(現党首)によるコラムが毎週金曜に掲載されている[31]。
経費節減と九州・山口地区への販路拡大を目的として[26]、2009年10月1日から、毎日新聞社と提携して佐賀県鳥栖市の毎日新聞鳥栖工場で「産経新聞九州・山口特別版」の現地印刷を開始した。「九州・山口特別版」は名前の通り九州本土と山口県向けに発行される産経新聞(朝刊単独)で、九州の読者のニーズに配慮して九州独自の紙面構成になっている(紙面の大半は東京本社版を使用しているが、地方版とテレビ欄は大阪本社で製作される)。
詳細は「産経新聞社九州・山口本部」を参照
日本国内外の記事を共同通信社や時事通信社からの配信に頼る事が多い。そのため中日新聞(東京新聞)、北海道新聞及び西日本新聞などの多くのブロック紙、地方紙と同じ内容も見受けられる。また金融記事はアメリカの経済専門の通信社ブルームバーグから配信を受けている。
夕刊廃止
東京本社版では2001年11月7日に夕刊を廃止することを社長会見で発表し、翌2002年3月30日付を以って夕刊の発行を終了した(大阪本社版=近畿地方のみでは夕刊を発行している。ただしこれは、東西別対応というよりも、大阪では元来、朝刊紙と夕刊紙とで住み分けされた文化があり、夕刊専門紙を長年発行してきた大阪新聞が産経新聞大阪本社夕刊の名称を事実上引き継いだ経緯によるものである)。夕刊廃止についてフリーライターの山口俊明は、産経新聞の東京圏での夕刊セット率は3割程度でコスト割れを起こしていたとし、更に売れ残った夕刊を販売店に引き取らせ、代金も徴収するいわゆる押し紙を行っており、これに販売店も反発し本社の前でトラックに山と積まれた押し紙を投げ捨てられたこともあり、一方で廃止になっていない大阪圏のセット率は6割前後を維持していたとしている[32]。
産経新聞では夕刊廃止の理由について『「一日の出来事が、丸ごと一紙でわかる」24時間編集の新聞をめざす。世界の一流紙はみな朝刊専門紙である、「夕刊が無くなっても犬は困らない」(当時の産経新聞夕刊廃止広告のキャッチフレーズ)』と述べている。また、「ワンコイン作戦」と称して、一部売り朝刊を2001年9月1日付より一部110円から100円に値下げした。
休刊日の一時廃止
2002年2月より、駅売り即売版のみ新聞休刊日の発行を実行に移したが、これは新聞協会加盟各社の反発を招き、時の社長・清原武彦が新聞協会副会長を辞任する騒動となった。さらに読売新聞がオリンピック特別号外と称して、定期購読の宅配分も含め新聞休刊日にも発行してこれに対抗、朝日新聞など他紙もこれに倣って宅配分も含めての新聞休刊日発行を行った。その結果、3ヶ月で産経新聞は新聞休刊日の発行を中止し、各社も同じく発行を中止した。
関連メディア
- 産経本紙の利益率は相対的に低い。これを補うため、グループ各紙は利益の一定額を本社に上納する義務を負っている。他の全国紙を発刊している新聞社はギャンブルや風俗の記事・広告の掲載されるスポーツ新聞やタブロイド紙は別法人を設立して発刊しているが[33]産経は産経新聞社本体が発刊している。3紙間の人事異動も盛んに行われており、3媒体の優劣、上下関係はあまりないが、黒字媒体であるサンケイスポーツ、産経に年間20億円もの上納を行っている夕刊フジ[34]に所属する社員からは、産経本紙がステータスを持っていることで異動を求めている者もいる。
- 過去にフジテレビが広告費の名目で億単位の資金援助をしていることが株主総会で指摘されたことがある。しかし、鹿内失脚の後、フジが東証に上場して経営の透明性が求められるようになったため資金援助は難しくなったといわれている。現在は、広告費としてフジテレビより年間20億円が産経新聞に資金提供されている[35](紙面にはフジテレビ、ニッポン放送の広告が目立ち、『ニッポン放送女子アナ日記』『―人気アナ日記』など自社グループ企業の関係の強さが反映された記事も散見される)。
他紙との関係
- リベラル評の高いニューヨーク・タイムズや朝日新聞の評論への批判・反論をたびたび表明する[36]。一方、ニューヨーク・タイムスには“日本の右派系新聞”と、ワシントン・ポストやAFP通信には“日本の保守系新聞”(ちなみにワシントン・ポストも保守系)、人民日報からは“保守派のプロパガンダ機関”と紹介された、また同じく人民日報傘下の「環球時報」からは頻繁に「日本の右翼メディアの報道」として記事内容を取り上げられる[37][38][39]。ワシントン・ポストが産経新聞について「1930年代風の軍国主義への復活を希求する暴力的なグループの一員」とするアメリカ民主党活動家(古森義久談)の投書を掲載した際には産経は紙面で反論するとともに反論文の掲載をワシントンポストに要求。後に反論文が掲載された。産経は自らを「国際的にみれば、中道、普通、穏健な報道姿勢」であると称している(自社ブログポータル「iza!」より)。
- 海外メディアの論調・反応としてニューズ・コーポレーション傘下の日刊タブロイド紙「ニューヨーク・ポスト」や統一教会傘下の日刊紙「ワシントン・タイムズ」の報道を取り上げることが多い。
- 木村正人ロンドン支局長は、ビル・エモット(『エコノミスト』前編集長)による著書の出版記者会見に参加した際、「中国とインド、日本というアジア3カ国の権力闘争が世界の次の10年を形作っていく」とエモットが述べたことに関し、なぜ日本を加えたのか質問したところ「(産経新聞は)ナショナリスト(愛国主義者)の新聞なのに、もっと自分の国に誇りを持たないといけないぞ」とユーモアを交え激励されたという[40]。
備考
- 全国紙とされる日刊の一般紙5紙のうち、唯一、書籍版の新聞縮刷版を発行していない(2011年現在。ただし、過去には大阪本社版の縮刷版を発行していたことがある)。また、電子版の過去記事は数年経っても閲覧出来る物と完全に削除される物とがあり、処置がまちまち。
- 全国紙に分類されているが、北海道などでは発行されていない(北海道へは東京本社版を空輸し、主に北海道新聞の販売店が配達しているが購読部数は極めて少ない[23])。なお、北海道新聞社は産業経済新聞社と提携して道新スポーツを発行している。
- 2007年5月の東浅草店の「押し紙」裁判は東京高裁で、150万円が産経から原告へ支払われることで2008年5月に和解している[41]。
- 元北京駐在記者・福島香織により、退職者から「退職後、会社の悪口をいいません」という誓約書を取っていることが明らかになった[42]。
紙面
題字と地紋、およびその配置
1942年(昭和17年)に戦時統合で『産業経済新聞』となった発足当初の題字は波の地紋に楷書体で「産業經済新聞」と書かれていた[43]。戦後も暫くは楷書体の題字が続いたが、1950年(昭和25年)3月1日、東京本社版の発行が始まるのと同時に楷書体から隷書体に変わり、地紋にも手が加えられる。東京本社版では下部に「東京」の文字が追加された。
1955年(昭和30年)11月、東京で発行されていた『時事新報』を産業経済新聞本体に吸収して『産経時事』としたが、このときの題字は『産業経済新聞』と同様に波の地紋に隷書体の縦書きで「産經時事」と書かれ、上にカタカナで「サンケイ」とゴシック体の活字で明記されていた。なお産経時事の題字は東京本社版のみで、大阪本社版は従来通り『産業経済新聞』の題字で発行されていた。また現在も時事新報社は休眠状態だが子会社として存続している。
詳細は「時事新報#概要・歴史」および「産経新聞東京本社#概要」を参照
「東京日日新聞#題字」および「前田久吉#戦後の産経新聞周辺」も参照
『産経新聞』となった後も同様に波の地紋に縦書きで「産經新聞」と隷書体で書かれ、下部に「産業経済新聞」、更に東京本社発行分はその下に「時事新報合同」とゴシック体の活字で明記されていた。これが従来と同様、1面右端に配置されていた。
「前田久吉#産経新聞社売却とテレビ腸捻転」も参照
1969年(昭和44年)5月、『サンケイ』に改題後は亀倉雄策作のロゴをそのまま使用することになり、当初は従来通り波の地紋に中央に富士山が登場し、その上に縦書きでカタカナ四文字が配され、下部にゴシック体の活字で「産業経済新聞」「産経新聞」と明記された(亀倉ロゴの「サンケイ新聞」の文字は1962年2月1日付から欄外に配されていた)。同年9月1日より横型に変更して富士山を象った模様の上にカタカナ四文字が配され、左隣に「産業経済新聞・産経新聞」と小さなゴシック体の活字で書かれるようになった。どちらも東京本社版にあった「時事新報合同」の文字は表記されなくなった。
横書きになってからは右側に広告が書かれていたが、1982年(昭和57年)から「新川和江選・朝の詩」が左端に載せられるようになったため、日付は題字右側に移動(夕刊は変わらず)。
1988年(昭和63年)5月29日『産経新聞』に復題後、青の正方形の無地に白抜きの毛筆篆書体で右から縦書きで「產經」「新聞」と揮毫された現在の題字が登場。1頁中央に正方形の縦書き2行で書かれた題字を中心に、左が朝刊は「朝の詩」、夕刊はコラム記事。右側は当初は朝刊がその日の主な予定や各国の祝日など行事の紹介、後に主要記事目次、夕刊は別のコラム記事が載っていた。また日付のところの新聞名の表示が「産業経済新聞(サンケイ)」と変更された。
現在は東京・九州・山口版と大阪版では若干レイアウトが異なっているが、大阪版は1988年の紙面刷新以後のスタイルをほぼ踏襲する形を取り、右端は宅配申し込み・記事内容の問い合わせの電話番号等を掲載している。一方東京・九州・山口版は2008年以後、左端のところに日替わりコラムを掲載しており、題字・「朝の詩」は右寄りに配置された。なお「産業経済新聞(サンケイ)」の文言は削除されており、九州・山口版には日付のところに「九州・山口特別版」という表示がある。
なお産経新聞社の正式な社旗は初代が赤地(紺地説あり)に左上から三本の白い斜線が左下に降りる上の中央に丸で「産経」と縦書きで書かれた文字を囲むマークを配した物。水野成夫経営後は赤地に中央よりやや上部に白く横一線がひかれ、その中に亀倉ロゴのカタカナ四文字「サンケイ」が青文字で配された物。三代目の現行は赤地に白く目玉マークを染め抜き、下部に「産經新聞」と馬場雄二作のフジサンケイグループ統一ロゴが白く染め抜かれた物となっている。
詳細は「産業経済新聞社#社旗」を参照
「正論」路線と『主張』『正論』欄
逆コース真っ只中の1958年(昭和33年)、東京進出による借入金が34億8000万円、手形が13億4000万円まで累積し、前田が住友銀行頭取・堀田庄三に財界からの支援を要請した結果、国策パルプとフジテレビジョン両社の社長を務めていた水野成夫が代表取締役に就任し[44]、財界による「はっきりした保守新聞」の要望に応える形での紙面刷新・路線変更と改題を行った[45]。
詳細は「前田久吉#産経新聞社売却とテレビ腸捻転」および「水野成夫#財界人」を参照
「逆コース#「逆コース」といわれるもの」も参照
さらに、産経労働組合が日本新聞労働組合連合(新聞労連)より脱退し労使平和協定を結び、社内の反対勢力を追放した[46]。
水野が退陣すると鹿内信隆が社長に就任し、1969年(昭和44年)4月1日、社説を「主張」に改題。7月には「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢がなっているでしょうか」「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」 と宣言し「正論」路線を打ち出した[45]。
詳細は「鹿内信隆#エピソード」を参照
1970年(昭和45年)1月1日付では「年頭の主張」を鹿内が自ら執筆し、亡くなる直前の1990年(平成2年)まで20年間続けた。1973年(昭和48年)6月には産経新聞朝刊紙上で『主張』とは別にオピニオン記事としての『正論』欄を常設。保守系の学者や評論家にその主張を公表する場を与えた[47]。同年11月には、これを基に月刊総合雑誌『正論』も立ち上げた。
詳細は「正論 (雑誌)#沿革」を参照
そして元社長で相談役の住田良能が論説委員に昇格した1989年(平成元年)から、東京本社編集局長、主筆へと駆け上がった1990年代には、この傾向がさらに強まった[48]。
詳細は「住田良能#経歴」および「産経新聞の報道#議論を呼んだ報道」を参照
しかし、月刊『正論』の販売部数が伸びた2007年(平成19年)からは産経新聞本紙での『正論』欄掲載が平日の5日間のみに縮小されるなど、時代の変化に合わせた改革も行われている。
詳細は「正論 (雑誌)#経営」を参照
「“ナンバーワン”よりも“オンリーワン”」「新聞はみな同じではありません」「群れない、逃げない。モノを言う新聞」とのキャッチフレーズの下に独自路線を進むことを宣言した。その結果として保守的な論調となっている。
2009年(平成21年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙において民主党の大勝と自由民主党の大敗による政権交代の結果を受け、社会部(選挙取材班)はTwitterにて[6]「産経新聞が初めて下野なう[49]」「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ」と発言[6][50]した。後日Twitter上にて[6]軽率な発言であったことを謝罪した[51]。
また、「新聞という媒体だけでは伝えられない臨場感や現場の記者の思いを伝えるための試み」としてTwitterを利用しているとし、「これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます」と釈明した[51]。いっぽう、同社広報部は「『不偏不党』を社是としており今後も方針に変わりはない」とコメントしている[52][53]。
年越し派遣村等の生活困窮者支援施策やその関係者についての報道[54][55]・論調に見られるように、2009年8月より新与党となった民主党連立政権の社会民主主義的政策やリベラル勢力、およびそれらを肯定的に伝える他紙(朝日新聞、毎日新聞、中日新聞)に対しては概ね批判的である。
コラム『産経抄』
1面コラムは前田社長時代、「点心」を掲載していた。前田に代わって社長に文化放送・フジテレビの水野成夫が就任すると、朝刊のコラムを「サンケイ抄」として室伏高信に、夕刊のコラムを「笛」として渡辺一夫に外部委託した連載していた。しかし朝日新聞より引き抜かれた土屋清が編集総長兼論説委員長に就任した際に、編集各部の部会を回って紙面改革の意見を徴したとき、政治部記者の俵孝太郎が「コラム執筆者は内部起用すべきだ、機会を与えられればわれわれも他社並のことはできる」と発言した。その結果、土屋は東西の編集各部長に60人の候補者を推薦させて社内コンペを行い10人を選び、内6人に「サンケイ抄」と「笛」の分担執筆を命じた。
「サンケイ抄」は当初、編集総長室の古屋奎二と山本雄二郎が隔日で、日曜日は選外入選組が書いた。古屋が『蒋介石秘録』執筆の為に抜けた後は、政治部の俵がそれに替わり、日曜日を社会部部長の青木彰が担当した。その後、水野の社長退陣に土屋が殉じて退社した後に、青木が編集局長に就任すると、石井英夫を専門の執筆者として指名し、以後は石井が独りで(月曜掲載分は石井が日曜休暇の為別人の執筆)35年間に渡り書き続けることとなった[56]。2004年12月28日をもって筆者が交代した。メディア批評誌『創』によると、現在では30歳代から40歳代の数人の若手記者による輪番執筆となったという。2008年6月20日の産経新聞によると、現在は皿木喜久論説委員長ら3人の論説委員が交代で執筆するようになったという。
エッセイ
基本的に毎月第一月曜日、産経新聞の朝刊1面に掲載される。
- 風塵抄 司馬遼太郎 1986年5月~1996年2月
- 月に一度 江藤淳 1996年~1999年
- 日本よ 石原慎太郎 1999年11月~連載中
- 2008年3月20日の紙面刷新により、30日日替わりエッセイと称して二面に毎日日替わりでエッセイが掲載されることとなった。日替わりエッセイの一回目は石原慎太郎の「日本よ」がそのまま掲載された。
- 月1回エッセイ
- 東京本社版は一面、大阪本社版はオピニオン面に掲載。
文化面
『斜断機』という金美齢、日垣隆、山崎行太郎などが土、日、月曜日に交代で執筆するコラムを連載していたが2002年3月31日の日垣隆の「さらば斜断機」をもって終了した[58]。その後、著者を一新し、斜断機時代にはあった反論コーナー『斜断機へ』を廃止して新コラム『断』の連載を開始した。その『断』も2009年2月28日をもって連載を終了し、3月より一部執筆者を変更して『断層』へとリニューアルした。
生活面
年金問題や介護、医療といった社会保障制度、医学博士などの専門家による「ゆうゆうLife」というコラムや「イチ押し!レシピ」という日本の全国紙で初だったカラー写真付の献立コーナーを連載している。
経済面
「暮らしと経済」と題して、月曜から金曜まで「女性と仕事」「生活とマネー」「いま、はやりもの」「リフレッシュ」についての記事を連載している。
読者投稿欄
一面に掲載される「朝の詩」、投書面「談話室」、著名人や公職者の論評が掲載される「アピール」がある。
発行年月日表記
-
日付欄は“平成23年(2011年)1月1日”と元号を先頭に表記している[59]。祝日には1面日付欄に日の丸を表示し、記事中でも国内関連記事は元号表記をしている(相撲以外のスポーツを除く)。ただし、海外の記事や河野談話など対外関係記事、一部解説委員の執筆記事(主にオピニオン面)などでは西暦表記を使用している。
- なお、産経新聞の記事をインターネットで配信しているウェブサイト「MSN産経ニュース」では、トップページの今日の日付を“2011(平成23)年01月01日”のように西暦を先頭に表記し、記事内では新聞と同様に原則的に元号を使用する一方で記事の配信日時における年表記、経済関連(主にSankei Bizと共通の記事にて)などの一部記事は西暦となっている。
番組表
番組表においては、関東地方・近畿地方(徳島県含む)について、産経と最もつながりのある放送局にはアクセントを付けて目立たせる。
- フジテレビジョンの番組表には黄色のスクリーントーン(関東版。地デジ完全移行に伴う番組表刷新まで)
- BSフジの番組表には水色のスクリーントーン(関東版)
- ニッポン放送の番組表にはタイトル部分に太めのゴシック文字を掲載(同)
-
大阪放送(ラジオ大阪)には灰色・網目のスクリーントーン(関西版)
※以前は「フジテレビのニュースはサンケイニュース」、「文化放送・ニッポン放送のニュースはサンケイニュース」と欄外に明記していたり(関東版)、ニュースの記号をフジテレビ(一部)、文化放送、ニッポン放送、関西テレビ(一部)、ラジオ大阪については黒四角に「N」の白抜き文字から黒四角に「サンケイニュース」の白抜き文字に代えていた。
※2011年7月24日の地上デジタルテレビ放送完全移行に伴う番組表刷新までは、東京本社版(※関東一都六県)のテレビ欄がアナログ放送のチャンネル順での収録であった。(なお、これは他の新聞も同じであったが、朝日新聞東京本社版や日本経済新聞や聖教新聞の東京都内版や読売新聞東京本社の首都圏(東京都内)版は既に先駆けてアナログのチャンネル順から地デジのリモコンキーID順に変更されていた。)この為、フジテレビの番組表掲載位置が変更された。
それ以外の東京・大阪両本社で発行される地方版ではテレビ番組表は原則としてフジネットワーク(FNS)加盟局を民放の第1番手として掲載している。また九州・山口本部版においては、現状は県別編集をせず「準広域版(九州版と北九州・大分・山口版の2つのみ)」としていることから、フルサイズ掲載の番組表では毎日・JNN系のRKB毎日放送を最初に掲載し、次にFNSのテレビ西日本を掲載、その他のFNS系列は紙面構成などからハーフサイズ以下での収録となっている。
その他の企画
まれに、本編の前後に「ラッピング新聞」と題した抜き取り可能な4ページ立ての全面広告紙面を作る場合がある(日刊スポーツでも同様に行う場合あり)。その場合、1面に「本日は特別紙面です。本編は2枚目から始まります」と書かれる場合もある。
更に、番組表(最終テレビ面)で、フジテレビの番組(地域によっては他系列)が掲載されるスペースの左隣にドラマやバラエティーの宣伝スペースをこしらえたり、ニコニコ動画の宣伝を一般番組表並みに載せたりしたこともあった。
連載漫画
- ひなちゃんの日常 南ひろこ
- 連載当初から生活面で掲載されていたが、東京本社版は2008年3月20日付から1面に移動。大阪本社版は従来通り生活面に掲載(当初週1回。後毎日)していたが2009年7月より社会面に掲載するようになった。SANKEI EXPRESSにも同じものを転載。サラリ君連載終了後は火曜~日曜の変則連載に変更。
- 九十九日記 胡桃ちの おやこ新聞
- 文豪春秋 いしいひさいち(いしいの病気療養により2009年より休載中)
- バイトくん いしいひさいち(大阪夕刊(土曜日)2003年より連載開始、病気療養により2009年より休載中)
- 山田伸(1コマ漫画)
過去の連載漫画
- 1967年 1月、手塚治虫の「鉄腕アトム」連載開始(単行本時「アトム今昔物語」に改題)
- 1969年 9月、手塚治虫の「青いトリトン」連載開始(単行本時「海のトリトン」に改題)
- 1972年 うしおそうじの「風雲ライオン丸」連載開始。
- 1980年 西村宗の「サラリ君」連載開始 大阪本社版では2009年7月よりスポーツ面に移動 2010年3月31日まで掲載
- 1981年 松本零士が「新竹取物語 1000年女王」連載開始。
- 1983年 5月、藤子不二雄Aの「夢トンネル」連載開始。(全301回)
- 1990年 夕刊に堀田かつひこの「カボスさん」連載開始。1993年まで掲載。
- 1995年1月1日 永野のりこの「ちいさなのんちゃん」連載開始。1998年8月1日まで掲載。
- のんびりいこうよ 赤羽みちえ 2010年10月29日まで毎週金曜日生活面に連載。母の介護と死、父の死などを描く。父の死後は自らの日常を描いていた。
発行所
- 大阪本社梅田オフィス
-
福岡県福岡市中央区渡辺通5-23-8 サンライトビル4階 郵便番号810-0004
- 対象地域 九州全県(沖縄県除く)、山口県
- 2009年10月1日から、これまで大阪本社発行版(午後6時締め切りの早版=6版)を空輸で発送していた九州全県の発行を大阪本社から引継ぎ、1997年から発行を休止していた山口県での発行を再開する。九州・山口版は毎日新聞西部本社の工場(佐賀県鳥栖市)で委託印刷を行う。なお、沖縄県については従来どおり大阪からの空輸(最終版)されている。
- 北海道、中京、北陸及び2009年9月までの九州については、事実上、販売エリア外であり、このため全国紙ではなく準全国紙とみなされることも多い。なお、九州では2009年10月1日から「九州・山口特別版」の発行を開始し、九州・山口での販売網を強化する。
- 九州・山口地区発行分の紙面は東京本社版がベースとなるが、地方版及び番組表は大阪本社で制作される。
国内総支局
- 東京本社管内【総局】
- 東京本社管内【支局】
- 大阪本社管内【総局】
- 大阪本社管内【支局】
- 九州・山口本部管内【総局】
- 九州・山口本部管内【支局】
ワールドネットワーク
印刷工場
- 東京本社管内
- 大阪本社管内
- 九州・山口本部管内
脚注・参考文献
産経電子版記事は削除されているものが多いので注意を要する。
- ^ a b 但し、欄外の題字や、一般的な呼称はこの当時から1988年5月に漢字の題字に戻すまで「サンケイ」(片仮名)を既に使用していた。また、1969年5月まで「『時事新報』合同」を題字下に明記していた。
- ^ 産経新聞社長に熊坂専務が昇格 日本経済新聞2011年5月25日
- ^ 第2回メディアに関する全国世論調査(2009年)公益財団法人新聞通信調査会
- ^ “集団的自衛権 首相は行使の決断を下せ”. 産経新聞. (2009年4月25日) 2009年12月26日閲覧。
- ^ “公務員の赤旗配布 適正さ欠く逆転無罪判決”. 産経新聞. (2010年3月30日) 2010年3月30日閲覧。
- ^ a b c d Twitterアカウント「@SankeiShakaibu」での発言であった。
- ^ 冷戦当時はソ連に対し特に批判的だった。ロシアに対しても好意的なわけではなく、批判的論調が目立つ
- ^ “【主張】首相訪米 同盟の危うさを直視せよ”. 産経新聞. (2007年11月14日) 2010年1月12日閲覧。
- ^ 中静敬一郎 (2009年1月31日). “【土・日曜日に書く】論説副委員長・中静敬一郎 日米同盟と小沢プロブレム”. 産経新聞 2009年12月26日閲覧。
- ^ “日米関係の深刻さにやっと気づいた?首相、外交ブレーン交代を模索”. 産経新聞. (2009年12月22日) 2009年12月26日閲覧。
- ^ “【主張】同盟再検討発言 軽はずみと責任回避憂う”. 産経新聞. (2009年11月1日) 2009年12月26日閲覧。
- ^ “【主張】安保改定50年 自らリスク担う国家を 日米同盟の空洞化を避けよ”. 産経新聞. (2010年1月4日) 2010年1月12日閲覧。
- ^ 櫻井よしこ (2009年11月12日). “【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】日米関係を修復せよ”. 産経新聞 2009年12月26日閲覧。
- ^ 親会社であるフジテレビはFNN北京支局を東海テレビが設置。
- ^ 当時、日本の全国紙としては、最後まで中国内に残留していた朝日新聞北京特派員秋岡家栄は、林彪が死亡したのではないかとの報道を北京に変化なしとして否定していた。
- ^ 『産経が変えた風』ISBN 4594032982 皿木喜久 記
- ^ a b 『今明かす戦後秘史』(共著)。鹿内は陸軍主計中尉(陸軍省勤務)だった。
- ^ 2年にわたって掲載された『蒋介石秘録』には、南京大虐殺について40万人という日本新聞史上最大の被害者数が記述されていた。
- ^ 産経が変えた風 正論を貫いて2001年版
- ^ “【主張】パレスチナ申請 中東和平を阻害しないか”. 産経新聞. (2011年9月25日) 2011年11月6日閲覧。
- ^ 追跡 原発利益共同体 毎年税金60億円 電通・博報堂・産経新聞社など事業請け負い しんぶん赤旗2011年7月16日
- ^ 原発電源回復 日本の技術の信頼かかる 『主張』2011年3月24日、ドイツの脱原発 実態知らずの礼賛は禁物 『主張』2011年6月8日、 伊も脱原発 日本から流れを変えよう 『主張』2011年6月15日
- ^ a b 日本ABC協会「新聞発行社レポート 半期・普及率」2011年7月~12月平均
- ^ 産経新聞媒体資料インターネット版. “産経新聞の購読者分布図”. 産経新聞社. 2010年5月27日閲覧。 日本ABC協会「新聞発行社レポート」(2009年1~12月平均)による。
- ^ “産経新聞・毎日新聞の窮乏、単独での生き残りはもはや限界(1)”. 東洋経済オンライン (東洋経済新報社). (2009年2月12日) 2010年1月29日閲覧。
- ^ a b 「朝刊値下げ、夕刊廃止、ネット記事無料公開の挑戦は奏功するか」、『SAPIO』第21巻第19号、小学館、2009年11月11日、 p.17。
- ^ 希望退職者募集に関するお知らせ (PDF)
- ^ 幸福の科学が政界進出、党首直撃!鳩山氏は「宗教家」 夕刊フジ
- ^ 夕刊フジで幸福実現党・饗庭氏の連載コラム開始 やや日刊カルト新聞
- ^ 女性局長,竜の口法子Webサイト
- ^ ついき秀学のMirai Vision
- ^ 『新聞業界 “仁義なき戦い” 産経「夕刊廃止・休刊日発行」の波紋』山口俊明 「放送レポート」2002年5月号
- ^ ちなみに朝日・毎日・読売は系列にタブロイド紙はない。日経に至ってはどちらもない。毎日は持ち株会社「毎日新聞グループホールディングス」が毎日新聞・スポーツニッポンを傘下企業に収めている
- ^ 『月刊FACTA』2007年9月号『「夕刊フジ」が赤字転落リストラで苦境打破へ』
- ^ 週刊新潮2008年4月10日号
- ^ ただし、フジサンケイグループの中でも「産経新聞」や「正論」などは朝日新聞に対して批判的であるが、ニッポン放送・文化放送をキー局とするNRNには朝日新聞と関係の深い放送局(KBCラジオなど)も参加しており一枚岩ではない。
- ^ 日右翼媒体扬言将配合美国“围剿中国无法无天的行动”
- ^ 日右翼媒体渲染“中俄挑衅” 称应全力重建美日同盟
- ^ 日右翼媒体渲染“中国网络威胁” 称日政府须“硬对”
- ^ 【土・日曜日に書く】木村正人 「JAPAiN」の特効薬、2008年5月18日
- ^ 産経・東浅草販売店、「押し紙」規模の検証⑤ ルポルタージュの窓2008年5月22日
- ^ 退職後、会社の悪口いいません、という誓約書にサインさせられたのには笑った。 Twitter:福島香織(2009.10.20)
- ^ 警報発令!今度は何が? 【し】新聞社の仕組み⑰ - 産経新聞大阪本社整理部記者日野原信生のブログ、2009年10月30日付。
- ^ 水野はこの時点で既に文化放送社長でもあったため、新聞・テレビ・ラジオ全てを握ったことになり「マスコミ三冠王」と評される。
- ^ a b 高山尚武『ドキュメント産経新聞私史』、青木書店
- ^ のち2009年9月に、全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟傘下となっており、自社を新聞社ではなくサービス業と位置付けている
- ^ 紙面『正論』欄の第1回は当時防衛大学校校長だった猪木正道が執筆した。
- ^ 『月曜評論』2007年7月号
- ^ “なう”はnow。Twitterでよく使われる言い回しの一つ。「今、産経新聞が初めて下野(した)」という意味になる。なお、自民党の下野は2度目で、前回は1993~1994年だった。直前には「帰宅なう」(今帰宅)という呟きも残っている。
- ^ 【速報】社会部選挙班の第一声編集企画室・猪谷千香
- ^ a b 「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」――産経新聞、Twitter上での「軽率な発言」を謝罪 ITmedia News 2009年8月31日
- ^ 「産経新聞:ネットの社会部公式ページで民主党批判」毎日新聞2009年9月1日
- ^ “産経社会部、総選挙めぐり不適切書き込み 自社ページに”. 朝日新聞 (2009年9月2日). 2009年10月6日閲覧。
- ^ “ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み産経新聞 2010年1月4日
- ^ 【日本の議論】「公設派遣村」は有効だったか? その内実は…産経新聞 2010年1月17日
- ^ 諸君!2005年4月号『石井英夫「サンケイ抄」に反論する』 俵孝太郎
- ^ “【産経抄】3月3日”. 産経新聞. (2010年3月3日) 2010年5月6日閲覧。
- ^ 日垣隆執筆の斜断機は『敢闘言 さらば偽善者たち』文春文庫として出版された
- ^ ほとんどの新聞は“2011年(平成23年)1月1日”のように西暦を先頭に表記している。系列のサンケイスポーツ及び東京スポーツ、静岡新聞、熊本日日新聞は産経新聞と同様、平成23年(2011年)の表記となっている。
- ^ 東京新聞横浜工場にて印刷
- ^ 読売新聞坂出工場にて印刷。産経の岡山工場では読売新聞の岡山・広島県で販売する分も印刷していたが、読売新聞が広島県尾道市に建設されていた新工場が稼動したことにより2008年10月で委託契約を解消した
- ^ 2009年10月より毎日新聞九州センターの工場(鳥栖と北九州のいずれかで調整していたが、最終的に鳥栖に決定)に委託しての現地印刷を開始
関連項目
関連紙
友好紙
関連団体
- フジサンケイグループ
- 産経新聞出版(旧「産経新聞ニュースサービス」)
- 東海テレビ放送(現在は上位10位以内に名を連ねていない)
- 関西テレビ放送
- テレビ西日本(西日本新聞系)
- 青森朝日放送(テレビ朝日系列マストバイ局であるが大株主に名を連ねている)
- 岩手めんこいテレビ
- 仙台放送(FNSの中でも、フジサンケイグループとの関係が強い局の一つである。産経新聞の東北地方版は、共同出資した印刷工場で行っている)
- さくらんぼテレビジョン(資本関係はないが、友好関係はある)
- チューリップテレビ(TBS系列マストバイ局であるが大株主に名を連ねている)
- 山陰中央テレビジョン放送(地元紙・山陰中央新報とも関係がある)
- 岡山放送
- テレビ新広島
- テレビ山口(TBS系列マストバイ局。大株主に名を連ねている。かつてはTBSとフジテレビのクロスネット局であったが、現在もフジテレビとは番組販売で友好関係を持っている)
- あいテレビ(TBS系列マストバイ局であるが大株主に名を連ねている)
出身人物
「Category:産経新聞の人物」を参照
外部リンク
- 産業経済新聞社
- MSN産経ニュース
- 産経新聞チャンネル - 公式YouTubeチャンネル(Flash Video)
- 産経速報動画チャンネル - 公式YouTubeチャンネル(Flash Video)
- フジテレビ・産経新聞の真相(労働組合反リストラマスコミ労働者会議・産経委員会)
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