伊藤 一郎(いとう いちろう、1888年明治21年)3月26日[1] - 1973年昭和48年)2月28日[1][2])は、大正から昭和期の鉱山技師政治家華族貴族院男爵議員

伊藤一郎
いとう いちろう
生年月日 1888年3月26日
没年月日 (1973-02-28) 1973年2月28日(84歳没)
出身校 東京帝国大学工科大学冶金学科卒業
前職 鉱山技師
所属政党 公正会
配偶者 伊藤久米

在任期間 1932年7月10日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

経歴

編集

伊藤恭四郎の二男として生まれる[1][3]。祖父・伊藤圭介の養子となり、祖父の死去に伴い、1901年(明治34年)1月23日、家督を継承し[4]、同年4月19日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1913年(大正2年)7月、東京帝国大学工科大学冶金学科を卒業[2][3][6]。同年、三菱合資会社に入社し生野鉱山技師に就任[2]。以後、同社大阪製煉所技師、三菱鉱業(現三菱マテリアル)鉱業研究所長、堺化学工業専務取締役などを務めた[2][3]

1932年(昭和7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]

親族

編集
  • 妻:久米(くめ、小野田健二郎長女)[1]
  • 長男:圭一[1]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、171頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』63頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』イ52頁。
  4. ^ 『大日本華族大鑑』17頁。
  5. ^ 『官報』第5336号、明治34年4月20日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正3年 至大正4年』東京帝国大学、1915年、学士及卒業生姓名188頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
  8. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。

参考文献

編集
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
伊藤圭介
男爵
伊藤(圭介)家第2代
1901年 - 1947年
次代
華族制度廃止