渡辺芳太郎

日本の冶金学者

渡辺 芳太郎(わたなべ よしたろう、慶応元年11月28日1866年1月14日) - 大正12年(1923年9月23日[1])は、日本冶金学者

渡辺芳太郎

人物・生涯

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尾張国中島郡下祖父江村(現在の愛知県稲沢市)出身[1]1887年明治20年)、東京帝国大学工科大学を卒業し、大学院に進んだ。三菱社に入社し、吉岡鉱山技術係、同副支配人を務めた。1894年(明治27年)、採鉱冶金学研究のためドイツに留学し、フライベルク鉱山大学に学んだ[2]1897年(明治30年)に帰国し、東京帝国大学工科大学教授となり、海軍機関学校教授や海軍大学校教授を兼ねた。1899年(明治32年)には工学博士の学位を得た。1906年(明治39年)、病のため退官。1908年(明治41年)、東京帝国大学工科大学講師として復帰し、1911年(明治44年)、九州帝国大学工科大学教授に転じた。

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 井関九郎『大日本博士録 第五巻』発展社、1930年、pp.60-61
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『渡辺芳太郎』 - コトバンク
  3. ^ 『官報』第4326号「叙任及辞令」1897年12月1日。
  4. ^ 『官報』第8321号「叙任及辞令」1911年3月21日。

参考文献

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外部リンク

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