柳美英(リュ・ミヨン、ユ・ミヨン、北:류미영/Ryu Mi Yong, 南:유미영/Yu Mi Yong, 1921年2月14日 - 2016年11月23日)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家

柳美英
各種表記
チョソングル 류미영
漢字 柳美英
発音 リュ・ミヨン、ユ・ミヨン
英語表記: Ryu Mi-yong
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生涯

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日本統治時代朝鮮京城府(現在のソウル特別市)出身[1]

父は抗日運動に従事し大韓民国臨時政府の要職を歴任し、後に大韓民国統衛部長となった柳東悦。母は李甲(抗日運動に従事しロシアに亡命し、客死した)の妹。夫は中国国民党軍将校として日本との戦争に従事し、戦後、韓国軍の要職や外務部長官などの外交ポストを歴任、また天道教教領でもあった崔徳新

朴正煕政権時代に夫・崔徳新とともに亡命[1]アメリカ合衆国を経て、1986年に北朝鮮へ入国した。1989年に崔徳新が死去すると、その跡を継ぎ、天道教関連団体の要職を歴任する。1993年7月24日に朝鮮労働党衛星政党である天道教青友党委員長となる[1][2]。1997年に檀君民族統一協議会会長に就任。

2000年、離散家族再会のために北朝鮮代表団を率いてソウルを訪問[3][4]。韓国に残っていた息子のチェ・イングクと再会[5]

2016年11月23日、肺癌のため95歳で死去[1]

脚注

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  1. ^ a b c d “柳美英氏死去、北朝鮮の政党委員長”. 産経ニュース (産経新聞). (2016年11月24日). https://web.archive.org/web/20161125123606/http://www.sankei.com/world/news/161124/wor1611240023-n1.html 2017年2月27日閲覧。 
  2. ^ 「【ファイル社会主義朝鮮】社会民主党、天道教青友党の新党首選出」『月刊朝鮮資料』第33巻第9号、朝鮮問題研究所、1993年9月1日、26頁、NDLJP:2677008/15 
  3. ^ 가족 만날까? - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBSニュース9、2000年8月15日)
  4. ^ 류미영 단장 자녀와 상봉 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBSニュース9、2000年8月17日)
  5. ^ 北朝鮮に帰順した韓国元外相の息子、汚名や経済難が動機か 知人証言”. AFP (2019年7月9日). 2019年9月28日閲覧。

参考文献

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関連項目

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