はみだしYOUとPIA
『はみだしYOUとPIA』(はみだしゆーとぴあ)は、情報誌『ぴあ』に1975年[1]-2002年のあいだ掲載された短文の読者投稿欄。略して『はみだし』とも呼ばれ、『ぴあ』の名物コーナーだった[2]。
『はみだし』のフォーマットは各ページの小口(ページ左右の余白)に収まる1行分[3]の短文で[4]、投稿者は「つい笑ってしまうような告白、発見、驚き、言わずにいられないようなこと」を[5]ハガキに何本でもよいので書いて編集部に郵送し[6]、採用されたものが掲載されるというものだった。様式や内容からして後年の Twitter を先取りしていたとも言え[7]、そのサブカルチャー的要素が当時の若い読者に好評だった[8]。『はみだし』だけ読むという読者までいた[8]。
『はみだし』を発案したのは、ぴあ創業者の矢内廣で、元は試写会の応募ハガキの余白に読者が書いてくる面白ネタを編集部の壁に貼り出し皆で笑い合っていたものを、内輪で終わらせては勿体ないと考えてコーナー化したものだった[8]。送られてくる内容は深夜ラジオの投稿に近いものがあるが[1]、採用本数が多いぶん「東京の日常」を切り取ったものが多く[1]、また「〜してしまったのは、この私です」のような面白おかしい自己表現をアピールする投稿も目立った[1]。掲載されたネタに別の読者が次号でリプライすることもあり、雑誌の発行間隔という制約からやりとりが何か月と続くこともあった[1]。
1999年4月5日号からは春風亭昇太を選者に迎えてタイトルを『春風亭昇太のはみだしYOUとPIA』に変更した。しかしネットで手軽に情報発信できる環境が普及した21世紀になると急激に投稿数が減り[2]、創刊30周年に伴なう誌面のリニューアルを機として、2002年7月1日号を最後に『はみだし』は終了した。2011年に『ぴあ』が休刊する際にはWeb上で投稿を募り、最終号に1号限りで復活した[9]。
ぴあ社よりアンソロジー集『はみだし天国』(1985年)、『はみだし地獄』(1986年)が刊行されている[10]。
脚注
編集- ^ a b c d e 唐沢俊一「映画館に向かう電車の中で読むのが、この“はみだしYOUとPIA”でした」『はみだし天国 (1) ― はみだしYOUとPIA傑作選 1975-1984』ぴあ、2004年、2-4頁。ISBN 978-4835609720。
- ^ a b 山野辺一也 (2011年7月15日). “[緩話急題]「ぴあ」に東京を教わった 情報誌草分け 39年で幕”. 読売新聞 東京朝刊 (読売新聞東京本社): p. 10
- ^ 見開き左右の小口を使って2行にわたる場合もある。
- ^ 山根聡 (2011年7月14日). “ぴあ発行終了 若者文化の“ライフライン”39年の歴史に幕”. 産経新聞 東京朝刊・朝刊文化 (産業経済新聞社)
- ^ 「春風亭昇太のはみだしYOUとPIA」『Weeklyぴあ』、ぴあ、1999年4月5日、99頁。
- ^ 「春風亭昇太のはみだしYOUとPIA」『Weeklyぴあ』、ぴあ、1999年4月5日、101頁。
- ^ 佐藤由紀 (2011年7月21日). “『ぴあ』の時代:/下 青春を雑誌に重ねて”. 毎日新聞 東京夕刊 (毎日新聞社): p. 4
- ^ a b c 小川記代子 (2017年8月1日). “【話の肖像画】ぴあ社長 矢内 廣 (やない・ひろし) (67) (2) 「大人は知らない」をビジネスに”. 産経新聞 東京朝刊 (産業経済新聞社): p. 17
- ^ “「ぴあ」最終号 本日発売!”. ぴあ (2011年7月21日). 2022年4月1日閲覧。
- ^ “情報量がハンパない!雑誌「ぴあ」は画期的なアーバンライフのガイドブックだった (1/3)”. Middle Edge. ミドルエッジ (2017年10月16日). 2022年4月1日閲覧。