アウロラ・ケソン
アウロラ・アントニア・ケソン(フィリピン語:Aurora Antonia Quezon、1888年2月19日 - 1949年4月28日)は、旧姓:デ・アラゴン・イ・モリーナで、マニュエル・ルイス・ケソンの妻で、彼が1935年から1944年までフィリピンの大統領であった時にファーストレディを務めた。
概要
編集アウロラ・アントニア・ケソンは、旧姓:デ・アラゴン・イ・モリーナ(de Aragon y Molina)で、フィリピン独立革命中にタバス州バレル(Baler)に革命家の父ペドロ・アラゴン(Pedro Aragón)とゼナイダ・モリナ(Zenaida Molina)の間に生まれた。後に同郷のマニュエル・ルイス・ケソンと結婚して、彼が1935年から1944年までフィリピン大統領であった時にファーストレディを務めた。フィリピン人全般に大いに愛されて、人道活動への関与で知られており、フィリピン赤十字社(Philippine Red Cross)の初代議長も務めた。
夫の死から5年後、彼女と娘ひとりは、夫の名前を冠した病院の開所式に赴く途中に暗殺された[1]。アウロラ州、ケソン市のアウロラ大通り(Aurora Boulevard)、アウロラ記念国立公園などは、彼女を記憶するように名付けられている。